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未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

「ラオスにいったい何があるというんですか」

飛行機の乗り継ぎ経由地のクアラルンプール空港からこの記事を書いています。

 

出来事を文章で記すことに関しては、一晩置いてみたらおいしくなるカレーのようなものだと考えることもできるけれど、今ここにある自分の気持ちは生もので割と鮮度が大切な気がするので、消えてしまわないうちに。

 

今あるものを文字に起こしてみることが最優先なので、文脈も構成も考えないままに思いつくがままに(いつも通りか)、だらだらと綴っていこうかなと思ってます。


ラオスに行くことが決まったのは去年の年末だった。

部活の友人たちとタイにいく約束をしていたのだけれど、時間があるのでせっかくなら彼女たちが帰ったあとに一人で別の国にも足を伸ばしてみよう、そんな気軽さで選んだラオス。二つ目に行く国をラオスに決めたのには特別おもしろい理由はなくて「タイに隣接するビザの発行がいらない国」というなんとも適当な選択基準だった。まあ、どこでもよかったのである。ただ、一人で海外で過ごしてみるという体験をしたかっただけだった。

 

そして、はじめての一人旅の舞台として選ばれたラオス

 

村上春樹が色々な土地を巡った紀行集をまとめた本を出しているのだけれど、そのタイトルを「ラオスにいったい何があるというんですか?」という。数々の旅行先を綴っているのだから、もっとほかによいタイトルもありそうなものなのに「ラオスのなにもなさ」をわざわざ本のタイトルとするくらいだから、本当にラオスには特段なにもないのだろうという予測はついた。なので、作業をするためにもノートPCを持参することにした。加えてSkypeのインタビューの仕事の予定も入れたくらいだ。

 

けれど、一方で私は村上春樹の書き手としての感度の高さを尊敬していて、彼がわざわざ著書のタイトルとして選ぶのには、きっとラオスには「なにか」があるのだろうという期待もあり、私はラオスに行くのがとても楽しみだった。実をいえば、友人と行く予定だったタイよりも楽しみにしていた(ごめんなさい)。

 

たしかにラオスは特別な「なにか」がある国ではなかった。タイのように刺激的なニューハーフショーがあったり、道路の脇に立ち並ぶようにして夜分遅くまで屋台が乱立したりするわけでもない。華やかというよりは地味だし、観光する場所というよりは暮らす場所に近かった。そりゃあ日本という別の文化をもつ国から来た私にとって、驚くことはいくつもあったけれど、目を見開くような派手さや観光すべき特別なものは何もなかった。

 

そんな地味で暮らすための場所、ラオスに私は6日間滞在した。

いきなり先に旅の終わりのことを書かせてほしいのだけれど、ラオスから離れるときに私が味わったのは、ひどく痛くなる自分の胸だったし、もしかすると目じりには涙の一粒も浮かんでいたかもしれない。日本を出国するときにも思いもよらない展開だったので、痛くなる胸に自分でも驚きを隠しえなかったほど。ラオスを離れることがとても寂しかった。これを書いている今、ラオスを離れてから約10時間がたつけれど、まだ寂しいし恋しく思っている。

 

村上さんの「いったい何があるのですか」という書籍の問いに対して答えるとするならば、ラオスには「生活感」であったり「素朴さ」があったように思う。その素朴さがたまらなく好きだと感じた。

 

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あまりに素朴すぎたせいでカメラを構えようとも思わなかったのか、町並みを映した写真がほとんど見当たらなかった。唯一見つかったのがこの写真。町にはにわとりや犬がうろうろとしている。(写真の真ん中下のほうにいるよ)

 

この数日間で、おもしろいエピソードが特に起こったわけでもない。ラオスの土地にあったのは普段の日本での生活でだって割とよく見るような光景だった。

 

たとえば、炎天下を長距離歩いて、暑い暑いとひいひいいいながら食堂に入ると、お店のおかんが「いやあ今日は暑いわよねえ」と笑って迎えてくれたかと思えば、その数秒後にはキッチンでスマホを触ってYoutubeを見ていたり、京都の鴨川沿いの等間隔の法則みたく、夕方にはメコン川沿いで家族や恋人たちが等間隔に腰かけ夕日を眺めたり、夕暮れには同じく川沿いでエクササイズをしている集団がいたり(私もこっそり混ぜてもらった)と、道端では子どもたちが鬼ごっこをしていたりと、そこにはラオスの人たちの生活や暮らしというものがあった。

 

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鬼ごっこする子どもたち。子どもたちが遊ぶ姿をよく見かける。


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あまりにすることがなさすぎて、髪の毛を切ってもらいに町の角にある床屋にいった。いい感じに短くしてもらった。

 

私が今回見せてもらったのは彼ら彼女らの生活のごくごく一部でしかないのだけれど、その断片に少しだけお邪魔させてもらってラオスを感じてみて今あるのは、ひんしゅくを買うことを恐れずにいうと、私もここに住んでみたいなという思いだった。6日間なんていうお試し限定期間ではなく、もっともっとここの空気を味わいたいし、その土地の言葉で人々とやりとりをしてみたいと強く感じた。

 

少し話を脱線させると、ラオスに住んでみたいという思いをもった原因にはひとつ心当たりがあって、旅の最後ひどくよくしてもらったエイさんという人(うろ覚え)のせいかもしれない。(名前がうろ覚えなことについて:私の先輩のこの記事がとても素敵)

飛行機の出発する空港付近で迷子になっている私を見つけ、道案内のうえ、バイクで川遊びにまで連れて行ってくれ、その上お酒までごちそうしてくれた兄ちゃんである。

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 川に続く道を案内してくれるエイさん。10キロほどあるリュックをもってくれる心優しき兄ちゃんである。

 

お互いに英語ができないので向こうの言っていることの半分も理解できないし、私のいうことを彼が理解していたのかどうかは定かではないが、彼には、ラオスという国のこと、そこでのくらしのことを言葉によってではない形で教えてもらった。バイクで連れまわしたり、川で一緒に泳いだり、地元の居酒屋でともに時間を過ごしたりしながら。

(特におもしろいエピソードはないといっておきながらなんだけれど、これは記事2つ分になるくらいのちょっとした事件だったので、またこれ別の機会に。)

 

 結局なにが言いたかったのかっていうと、ざっくりとした表現になるけれど、私はこの国のもつ素朴さがとても好きだということ。次に海外にいくときにどこに行きたいかといえば、ラオスに行きたいと即答する。

 

いつも記事の終わらせ方がよくわかなくて困るのだけれど、エイさんと朝までビールを飲んでいたせいで今日はほとんど寝ておらず、今机に頭がつきそうなほど眠たいので、今回はこんなところで終わりにしたいと思う。

 

これは11日間の旅の中で全体をふわっとまとめただけの話。旅に事件はつきもので、まだまだエピソードはたくさんあるので、折にふれて更新できたらなと思っている。

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ナムコン川の向こう側の山に太陽が隠れていく夕暮れの一枚。手前にいる犬と少年の後ろ姿が郷愁を誘う。写真が傾いてぶれているのは、カメラをもつ逆側の手にビールを握っていたから(一人で飲んでた)。

「読者を育てる」という視点について

読者を育てるという視点が身についた(かもしれない)。子どもの育ちに関するウェブメディアで記事を書いている。

 

「子どもが育つときにだいたいでるしぐさ」,たとえば「あうあう」という喃語といわれる発語,何かを指さす「指さし」の行為。情報を提供するライターとして,これらのキーワードについて書くときにに悩むのは【まだそのしぐさのでていない子どもをもつ親】に対してどのようなメッセージを投げかけるべきだろうということ。

 

最近意識にのぼってきたのが「読者を育てる」書き手でありたいという思い。読んでもらっている発信者側の立場として、「読者を育てる」 なんて大変おこがましいかもしれないがそれ以外の表現が思いつかない。

 

発達がゆっくりなために、一般的に「できる」と言われる月齢に、あるしぐさが出てこないということはきっとこれからも起こる。

 

少なくともこの手のキーワードに関していえることは、記事のゴールはよくあるSEO記事のように「安心してもらうこと」でも、DSM-Vや医学書のように「むやみやたらに詳細な枝葉となる細部の情報を伝えること」でもない。

 

記事として向かうべきゴールは、次におなじような不安が彼ら・彼女らに襲ってきたときに、いかに不安を解消し、どのようなアクションをとるべきなのか、自らの頭で考えられるような「思考力」を身につけられるような構成であることではなかろうか。

 

ライティングの仕事が決して楽というわけではなくむしろもがき苦しむことのほうが多いのだけれど,そういう泥の中にこそ得られるものがあるよな、仕事を通して感じることはこんな感じ。

 

 

Evernoteの雑記の放出1

その当時私の足を動かしていたのは、怒りや憤りだったのだと思う。

 
誰に対して?

さあ。

 

2015年までの自分は「LGBTの人達が生きやすい社会をつくる」などと息巻いていた。

この息巻き感の発端は、同性の女の子を好きになった中学高校時代の経験。これいわゆる原体験というやつだった。

 

当事者意識もあいまって、学部の当時はエネルギッシュかつ前のめりに活動をしていた。たとえばデモに参加したり学会に顔を出して喧々諤々の議論の輪に入ったり。がんばってたよなあと思う。

 

冒頭の問いに対して、「社会に対する怒りだったんだよ」と答えることはとても簡単なんだけれど(昔はよく言ってた)、あらためて問いたいのは、その「社会」って何なのよ、みたいなこと。

 

当時、私の知り合いには誰一人として私の性的指向性を批判する人はいなかったし、カミングアウトをして否定された経験もない。そりゃあインターネットを覗けば私のような性的指向のある人に対してホモフォビックな声をあげる人はいたのだけれど、それは生活空間にダイレクトに響くほどの脅威であるわけでは特になかった。

 

のに、私は何かに対していつも怒っていたし、その怒りが自分の足を動かしていたことは紛れもない事実。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 卒業に際して、これからどうするのか考えなければならない機会が増えた。

 

当時の「社会を変えてやるんだ!」というスタンスは自分の中からきれいになくなっている。どれだけ時間をかけて考えても、「社会」をどうこうしたいという意図は生まれてこない。

 

「社会」という抽象的な言葉ではなく、「特定の誰か」に置き換えてみたところで、意図のなさは変わらないのだ。別に「特定の誰か」を変えたい・誰かに何かを届けたいという気持ちもない。

 

これじゃあ就活もなかなか難しいよなということでいったんストップしている就職活動。

当時好きだった女の子とのあれこれは相変わらずふんわりと思い出として残っているけれど、今はLGBTのことに対する強烈なこだわりや「社会的なコト」からは解き放されている。

 

(もうちょっと言語化できそう)

(やっぱやめた)

 

怒りや憤りから生まれるモチベーションから解放された今、あらためて自分は何をしたいのだろう。問うてみるとやりたいことがないわけではないのだな、というか、あることに気付く。

 

書くこと、あと書くことについて考える人と一緒にいること

「書く」ということに対してこだわりがあるっぽい。過去1年間をふり返れば、「書くこと」に葛藤し続けた時間だった。

 

ちょうど一年前の日記。

2016年2月17日
201今日も、言葉を失っている。うまく書けないもどかしさは、体を揺する。

【言語化できない不安】
自分の想いを言語化できないことは、自分にとって最も怖いことだ。
想いに適した(最適な)「言葉」が見つからないとき、話の構成がうまく組み立てられないとき、私はどうしようもなく不安な気持ちになる。想いに最適な言葉を探すことは、私にとってとても大事な作業である。

 

2016年2月24日
毎日のようにふりかえりの冒頭に「言葉が出ない」と書いている。
 
適切な言葉を探し、丁寧に丁寧に言葉を選ぼうとするあまりに、自分の想いに見合った言葉を見つけるのが日に日に難しくなってきている。

 

こんな感じでここ1年は言葉に関してごくごくこだわっている自分がいることに気がつく。勉強会やったり(続かなかったけど)、インターンしてる会社で自らライティングをやりたいと手を挙げたり(未だに赤字だらけだけれど)。 

 

一人で夜中に悶々としたり。

 

 同性と付き合っていることに対する強烈な自己意識は薄れ、次はあらたに「書くこと」に対する強い気持ちが生まれている今。

 

自分のアウトプットに対して「よくできた」なんて納得感をもつことは殆どないけれど、よく考えたら最初からできる人なんて稀だよな。

 

職業としてのライティングとはまた違う自己表現としてのライティング。まずはEvernoteに溜まっている雑記を放出させていくことからはじめて行きたいと思う。

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超ドMの話

電話をしながら「付き合う」というのはどういうことなのだろうと考えている。
そもそも人と付き合うというのは一瞬の行為ではなくて、継続的に関係をもっているという状態であるといえるので「付き合っているとは?」という問い立てが正しいかもしれない。
 
兎に角、最近は「交際関係」のありかたについて折に触れてぐるぐると思いを巡らす。飲み会の席では必ずといってよいほど交際相手がいるか、どんな関係なのかを聞かれるし、友人との会話の中でもパートナーとの関係について話題となることが多いので、自ずと考えざるをえない状況に見まわれるのかも。

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自分には付き合って3年目になるパートナーがいる。最近は私が地元を離れたせいで遠距離の関係となり、頻度は少なくなったものの連絡は細々と行っている。
 
今回はそのコミュニケーションの中で相手から受け取ってしまうものについてのお話。
 
ここ数ヶ月やりとりの中で自分の心がふにゃふにゃになって崩れそうになることが頻繁にある。どんなことかというとこんな感じ。
 
ひとつひとつの言葉に棘や角張りを感じ、「怒っているに違いない」と相手の気持ちを勝手に想像しては一人で傷つくとか。
 
普段の生活の中では言葉で表現しきらない苦しみを知っているのに、相手には言葉の着地点を求め「どうしようかなあ」「せやなあ」ばかりですぐに途切れてしまう会話で感じる煮え切らなさや歯がゆさにパチンとはじけそうになるとか。
諦めに近いため息交じりの低い声からはごわっとした負のエネルギーをもらってしまう。
 
沈黙の間が心地よいなんてことはなくて、スマートフォンのスピーカーから聞こえる向こう側の空調機の物音で心をざわつかせる。ちくちく痛い。
 
距離が近いと、相手からはその分だけ大きなエネルギーを受け取るのだと思う。
 
「崩れそうになりながら、負のエネルギーをもらいながらも相手をケアし支えること」と、「自分を守るために距離を置きいったん離れること」。
相手が心理的にしんどい時期であって、話をすれば負のエネルギーを受け取らずにはいられない今、私はこのふたつの選択肢の間をいったりきたりしながら揺れている。
 
いや見栄を張ってしまった。今私はおそらく「いったん距離を置く」という後者を意識的に選んでいる。苦しいと感じたらすぐに相手と真っ向から向き合うことから逃げる。これはかれこれ昔から続くもので癖になっている。すたこら。
 
お付き合いの関係なら相手の気持ちに寄り添って支えるのが当たり前だろう!という意見があるだろうし、互いに想いあっているはずの恋人同士ならある意味この意見はまっとうなものなのかもしれない。
 
でも、という言葉が続く。
相手のエネルギーを受け止めるだけの度量がないといわれればそれまでだが、苦しいものは苦しいのだ。 大きすぎるエネルギーをもらってへばってしまわないように、「距離を置いていったんその場から引く」ことで自分の身を守っているふしがあるし、ひらりひらりと相手を変えては飛び回っているのはそのその苦しさから逃げる癖のせいかもしれない。
 
親密な関係をもつ人と本気で向き合おうとすると圧倒的に苦しいことのほうが多いから。 
家族・恋人同士で四六時中ひとつ屋根の下で一緒に生活する人たちを本当に尊敬する。自分にはとうていできそうもない。
 
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一対一の付き合いでは大きく感情が揺すられることはあんまりないのだけれど、パートナーからは大きな揺さぶりをもらう。
その揺さぶりを通して自分のことを知るという意味では、一緒にいることにはどうやら「まだ」価値がありそうだとかなんとも冷ややかなことを考えてしまう。
 
こんなことがあって大変苦しいながらも最近感じるのは、私たちはこれからも「こんなにも苦しいのになんで一緒にいるんだろうね」なんて言いあいながらもしばらくは関係を続けていくんだろう、などという根拠のない予感だ。
ついこの間友人にこの話をしたら超ドMだねなんて言葉を返されたけれどおそらく間違っていない、超ドMなのだろう。
 
電話をすればけんか、泣いて怒ってばかりの関係なんていいか悪いかでいえば圧倒的に「悪い」関係の部類に入るのだけれど、他の人の前では決して出てくることのない、むき出しの醜い私の姿を引きずり出せるのは今のところうちのパートナーしかいない。
 
約束をしたからといってずっと一緒にいられるなんていう保障はどこにもないので、どこかで途切れることを前提に人との付き合いをする。これは自分だけでなくパートナーとの間でお互い一致する見解。
これからの未来のことを嘆いてああだこうだいうつもりはないけれど、とりあえず今ここに私たちの間に関係があること、そしてそれを苦しいと感じていることをまるごと受け入れようと思う。
 

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自分事としての性

たまに発作みたいに人肌が恋しくなることがある。

 

クリスマスが近づいてきているからなのか、週に2度のペースで隣の部屋から聞こえる夜の情事の音のせいなのか、原因はよくわからないけれど今晩はそれがきたわけ。

 

かといって別に何をするというわけでもないんだけれど、吐き出さないとそれはそれで内側にエネルギーが溜まったままになって気持ち悪いので、こんな夜中にブログを書いている。

人によっては風俗いったりすんのかね、こういう気分のときみんなどうしてんだろ。

 

最近、自分の性について考えることが増えた。それは、社会のこととしていわば客観的に捉える性ではなく(LGBTだとか)、自分事としての性。(個人的なことは政治的なことだよみたいな議論は今回は度外視)

 

付随してセクシュアリティの揺らぎを経験する機会も増えたように思う。中性的な何かでありたいのか、女性的なものでいたいのか、居心地のよいセクシュアルアイデンティ(性の置き場)を探している感じ。あと自分が性的魅力を感じる対象は、どんな人なのかについてもよく観察してるかも。

 

女性器をもって乳が膨れているという事実からすれば、生物学的には女性そのものなんだけれど、ひと昔前までは「何者でもない特定できない何か」でありたいという一貫した強い思いがあった。それを考えると何なのか、最近の揺れる心は。

 

普段の生活ではほとんどないんだけれど、ごくたまーに「今日は女子の自分でいこう」と性別を明確に「決め」られる日があって、そういう日は見た目に気を遣い始める。自分の求める水準まで装いが決まった瞬間には(他人から見てどうなのかはともかく)、ダイヤルキーがカチッとあったみたいですごく気持ちいい。揺らいでいる自分をメタ認知的に楽しむ一方で、カチッとはまったらはまったで別の楽しさがある。

 

女子でいこうと「決まった」日には装いの他に、立ち振る舞いも変わる。視線のやり方なんて特に(これは最近気づいた)。なんだったら声色だって変わっているかもしれん。あとは相手との物理的距離感とか、体の動かし方、口数口調など。コミュニケーションにおけるありとあらゆる部分が変わるかも。で、そういう日には高頻度で冒頭に書いたような衝動に駆られることが多い。

 

誰彼構わず人肌に触れたい、みたいなやましさ(やらしさ)から書き始めた記事だったのに気がつけば、性自認とそれに伴う表現についてみたいな割と真面目な内省になってる。おかげさまで風俗にいくこともなく性的欲求はもろとも消えたので、この行為を文字オナニーとでも名づけようかね。

イベントレポート【リーダーには「編集力」が必要だ】2016.11.21

先週、渋谷がアツかった。これからの働き方を考えるTokyo Work Design Week2016が7日間にわたり開催されていたのだった。

そこで聞いた話が大変興味深かったので、この記事では「なるほど!」と思った点を中心にトークイベントの様子を紹介します。

私が参加したイベントは【リーダーには「編集力」が必要だ。】

 

今、編集者として活躍されている3名のゲストが、「編集」という視点から、働き方や社会へのアプローチの方法などについて熱く語り合いました。

 

イベントは以下の3つの構成で進められました。

・それぞれの考える「編集とは」

・「はたらき方×編集」

・「ソーシャル×編集」

それぞれの考える編集とは

編集という言葉のもつ、本来の意味合いは「情報をデザインする」ことだそうです。けれども、編集という概念は言葉のもつ意味以上に幅が広く、人により捉え方はさまざま。

 

最初は、自己紹介も兼ねて、それぞれの考える「編集とは?」について話をしていただきました。3名のゲスト全員が「編集とは何かを表すのは、むずかしい・・」と枕詞をつけ唸ったが、どうやら編集者という役割をもつ人でさえ、編集とは容易には捉えがたい概念のようです。

編集とは、暗闇の中の光

編集を「暗闇の中の一時の光だ」とおっしゃったのは、TOKYObeta Ltd.代表取締役であり、編集者兼ジャーナリストの江口晋太郎さん。(ちなみに今私は江口さんのところでインターンをさせてもらっています)

 

「メディアが雑誌・新聞・テレビだけのものだった時代から、現代ではSNSの普及により個人のふるまいがメディアとして様々なものを指し示すようになった。そんな変遷の途中である今の時代、混沌としていて、誰もがどこへ向かうべきか、どうあるべきかを迷っているように感じます。

 

「編集」するためには、全体像を俯瞰して見た上で、何かと何かを繋ぐという、一段高い視座をもつ必要がある。そのような「編集」的な視点・思考をもつことにより、自分の行き先、社会のありようのヒントを得られるのではないかと思う」(江口さん)

誰もが迷い、暗中模索する今、自分・組織・社会のありようの方向性を示すための一つの光として「編集」があるとおっしゃっていました。

編集の役割は、共通言語のない人にもわかるように言葉をつなぐこと

2人目のスピーカーは モリ ジュンヤさん。現在inquireCEOであり、NPO法人soarNPO法人マチノコトの理事でもあるといういくつもの顔を持っています。

 

モリさんいわく、編集とは「科学館にいるコミュニケーター・ファシリテーター」の役割と似ているという。

 

コミュニケーターとは、専門的な話を、知識のない人に対して、わかりやすく説明する人。科学館や博物館にいるスタッフの人を想像してもらえばわかりやすいかもしれません。ファシリテーターは、話を交通整理して、全員がわかるようにまとめていく役割の人。

 

これらの役割をまとめると「編集とは、共通言語のない人に言葉をつないでいく翻訳する行為」を指すという。今、橋渡しをするような仕事があちこちで求められてきているとも言っておられました。

 

編集の世界はレゴブロック

そして最後に、今回のイベントのモデレーターを務める、長谷川賢人さん。長谷川さんは、会社の営業職、ライフハッカーなどの会社での仕事の経験を経て、去年からフリーランスとして、編集・ライティング・講演などの活動をされている。

 

彼によると、編集はレゴブロックの世界と似ているという。

「レゴの世界では、作り手の自由な発想によって、ブロックを組み替えていける。作り手によっては、家の窓となるはずのブロックも、車の窓になることもある。ひとつのものが捉え方によって、別の意味を帯びてくるんです」(長谷川さん)

 

編集も同じで、世の中のあらゆるものをブロックのひとつとして見立て、その組み合わせにより何かを作ることだと捉えておられるようです。

 

「はたらき方×編集」

自己紹介も終わったところで、いよいよ本編に入ります。最初のテーマは「働き方×編集」。編集の仕事を手がける3名から、編集的な目線による働き方についての議論が交わさました。

 

これからのリーダーに「編集」が必要な理由

リーダーシップと編集は近い場所にある、という考えをお持ちの三人。

文化や流行がどうなっているかを掴み、そして次に何の波が来るかを予測し、言い続けていく。厳密には10年後どうなるかなんて予測はできない。

 

だけれど、言い続け発信し続けることによって、それに共感する人が生まれ、ムーブメントだったり流行へと繋がっていく。これは、未来の不確実性の高い今の時代に、起業家やリーダーに求められることと通ずるんじゃないか。

 

プロジェクトからどうフェイドアウトしていくか

これからは1人がカリスマ型のリーダーシップをもって引っ張るのではなく、関わる全員がオーナーシップをもってやっていくことが必要となる。

もちろん、プロジェクトが始まったときには従来型のリーダーシップでチームを引っ張ることになるけれど、そのあとはリーダーがどうフェイドアウトできるか。現場にどう権限移譲するか、グラデーションをどう作っていくかが必要なんじゃないかと思います。

 

「リーダーがいなくても大丈夫な状況」を作っていくということ。私のインターン先のチームでは、社員さんが一人もいない中で記事が最終編集のレベルまで磨かれる。

 

その仕組み化に至るまでに、うちの編集長も同じように、現場に権限移譲をするという視点をもってやってきていたのだろうなあ、と編集長の顔を浮かべながら話を聞いていました。


どのようなボールを投げると相手がもっとも受け取りやすいのか

働き方や組織においては、関係性の編集力が大切だと思っています。

時間をかけて対話をしていく中で、相手はどういうボールを投げたらキャッチしてくれるのだろうか、と考えます。ストレートでボールを投げたらいいのか、スローカーブなのか。コミュニケーションにおける相手とのキャッチボールの球の投げ方を変容させていきながら、その人が一番やりやすい形でやっていくことが大切。 

 

相手が誰かによって、受け止められるボールは確かに違うよなあと改めて思いました。

 

「ソーシャル×編集」

休憩後は、テーマが「ソーシャル×編集」。ここでは主に、まちづくりや地域とメディアの関係についてのお話が中心となりました。

 歴史を紐解いていく/解像度をあげる

例えば町だったら、どのような栄枯盛衰があって、どのような変遷があったかを知ること。過去の失敗だったりは、もう住人は繰り返したくないというトラウマ的なものをもっていたりする。

 

それを知らないままにプロジェクトを展開するのはいけない。これまでどういうプロセスがあったか、そしてその地域の固有性とリソースを把握することから始まるんじゃないかな。

ここの話で印象的だったのは、プロセスを知ることは、チームビルディングや人と関係を結ぶときにも同じように大切だということ。

 

つい「今」のその人の興味や関心のみに注目してしまうことが多いけれど、実は、相手への理解を深くするには、以前はどういうことをしていて、以前は何に関心があったかのプロセスを知ることが大事だという話があって、うんうん、と激しく頷きました。

 

「ただのタナカさん」より、「○○をしてきて、▲▲に関心のあって活動してきたタナカさん」のほうが、解像度があがっているとのこと。相手のことを知るときに解像度という言葉を使うのはおもしろいな、と思って聞いていました。


そんな感じで長くなってきたので、そろそろ終わりにしようかなと思います。

 

おわりに、的なやつ

今回のイベントを通して。
編集的な観点でものごとをとらえていく、というのは普段よりも一段高い視座に立ってみるという言葉が心に残りました。

このあたりはメタ認知だとかNLPとかで言われる話にも似たものがあるな、と感じます。

 

加えて編集は、一段高い視座からとらえた個々の出来事に意味づけをして、それぞれをつないでいくということなのかな、となんとなく思いました。わかったような、わからなかったような。


これからは、参加したイベントはちゃんと言葉にして残していこう。ゆるゆると力を入れすぎずにやっていきたいなあ。

学校の保健室みたいなところ

思っていたよりもメンタルが弱かった。

 

「そんなにしんどいなら戻ってきたらいいやんか」

おいおいと泣く私の背中をさすりながら、パートナーはそう言った。

 

自分が書いたwebのコラム記事のview数は日々伸びている。ということは、誰かがサイトに訪れ私の記事を読んでくれているのだろう、そのことはわかる。

だが、それが生の人間に届いているという実感がない。どんな人が読み、読んだ結果、何を感じるのか、それが見えてこないのだ。

 

朝から夕方まで黙って仕事をして、業務が終われば自宅に帰る。住んでいるのはシェアハウスだが、住人同士 お互いに顔を合わせることはほとんどない。一日の中で、交わすのは「この部分はこれこれを意図して書いています」などと会社の編集さんから受ける指摘に対して返す言葉。ほぼそれだけ。

 

休みの日には、部屋の掃除、読書、料理。心が晴れやかなときには、ワークショップに出かけたりもする。友人がいないので、一人で行って一人で帰ってくる。

 

東京での生活、会社でのライティング、すべては自らが望んでやり始めたことだというのに、いつの間にか自分を苦しめるものになっている。誰にも話すことのできない、行き場のなくなった感情は自分の内側に積もっていく。

 

仕事でも話すことがない、休日にも人と話さない。

こんな日々を送っているとどうなるかというと、人が怖くなる。少し人と話すだけでも、ギアをマックスまで引き上げなければならず、ひどく疲弊する。うまく人とコミュニケーションを取れなくなる。例えるならば、長年油をささず錆びれて動けなくなってしまった機械みたいに。

 

そんなときに、地元に住むパートナーと喧嘩をしてしまい、対話をするために地元に戻ることになった。長くなるので喧嘩の内容については、またのちほど。

 

無事に和解をして、話をしているうちに、自分でもわからなくなるほどに涙が出てきた。仕事でうまく成果を出せないこと、友人がいないこと、頼れる先がないこと、一人で過ごしていること、など東京での日々のあれこれについて、堰を切ったように話をした。言葉が口から出てはじめて、ああ、自分はつらかったんだな、と気付く。

 

そんなに苦しいなら戻っておいで、と声をかけてくれたのはこのときのこと。

 

自分が自分らしく生きるためには、人と感情を交わし合うような対話の時間が必要なんだと、ここ1ヶ月人を避けて暮らした孤高の生活をとおして知る。

 

やりたいことはその時々に変わる。でも、ころころと変わるその「やりたいこと」の裏側には一貫性がある。「誰もこぼれ落ちない、境界線のないゆるやかなつながりのある社会をつくる」という2月に掲げたビジョンは今も変わってない。

 

社会的に孤立していなくても心理的に孤立している人はいる。ついぞさっきまでの自分のように。一度負った傷をかばうようにして、どんどん殻を厚くしてその内側にこもっていった自分。

 

そんな心理的に孤立している人をとりこぼしてしまわないような、あたたかい場所。存在があるだけで肯定されるような場所。つくれないかなあ。学校の保健室みたいな、無条件に受け入れてくれるところ。

全部必要なプロセスだってわかる。