未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

自分事としての性

たまに発作みたいに人肌が恋しくなることがある。

 

クリスマスが近づいてきているからなのか、週に2度のペースで隣の部屋から聞こえる夜の情事の音のせいなのか、原因はよくわからないけれど今晩はそれがきたわけ。

 

かといって別に何をするというわけでもないんだけれど、吐き出さないとそれはそれで内側にエネルギーが溜まったままになって気持ち悪いので、こんな夜中にブログを書いている。

人によっては風俗いったりすんのかね、こういう気分のときみんなどうしてんだろ。

 

最近、自分の性について考えることが増えた。それは、社会のこととしていわば客観的に捉える性ではなく(LGBTだとか)、自分事としての性。(個人的なことは政治的なことだよみたいな議論は今回は度外視)

 

付随してセクシュアリティの揺らぎを経験する機会も増えたように思う。中性的な何かでありたいのか、女性的なものでいたいのか、居心地のよいセクシュアルアイデンティ(性の置き場)を探している感じ。あと自分が性的魅力を感じる対象は、どんな人なのかについてもよく観察してるかも。

 

女性器をもって乳が膨れているという事実からすれば、生物学的には女性そのものなんだけれど、ひと昔前までは「何者でもない特定できない何か」でありたいという一貫した強い思いがあった。それを考えると何なのか、最近の揺れる心は。

 

普段の生活ではほとんどないんだけれど、ごくたまーに「今日は女子の自分でいこう」と性別を明確に「決め」られる日があって、そういう日は見た目に気を遣い始める。自分の求める水準まで装いが決まった瞬間には(他人から見てどうなのかはともかく)、ダイヤルキーがカチッとあったみたいですごく気持ちいい。揺らいでいる自分をメタ認知的に楽しむ一方で、カチッとはまったらはまったで別の楽しさがある。

 

女子でいこうと「決まった」日には装いの他に、立ち振る舞いも変わる。視線のやり方なんて特に(これは最近気づいた)。なんだったら声色だって変わっているかもしれん。あとは相手との物理的距離感とか、体の動かし方、口数口調など。コミュニケーションにおけるありとあらゆる部分が変わるかも。で、そういう日には高頻度で冒頭に書いたような衝動に駆られることが多い。

 

誰彼構わず人肌に触れたい、みたいなやましさ(やらしさ)から書き始めた記事だったのに気がつけば、性自認とそれに伴う表現についてみたいな割と真面目な内省になってる。おかげさまで風俗にいくこともなく性的欲求はもろとも消えたので、この行為を文字オナニーとでも名づけようかね。

イベントレポート【リーダーには「編集力」が必要だ】2016.11.21

先週、渋谷がアツかった。これからの働き方を考えるTokyo Work Design Week2016が7日間にわたり開催されていたのだった。

そこで聞いた話が大変興味深かったので、この記事では「なるほど!」と思った点を中心にトークイベントの様子を紹介します。

私が参加したイベントは【リーダーには「編集力」が必要だ。】

 

今、編集者として活躍されている3名のゲストが、「編集」という視点から、働き方や社会へのアプローチの方法などについて熱く語り合いました。

 

イベントは以下の3つの構成で進められました。

・それぞれの考える「編集とは」

・「はたらき方×編集」

・「ソーシャル×編集」

それぞれの考える編集とは

編集という言葉のもつ、本来の意味合いは「情報をデザインする」ことだそうです。けれども、編集という概念は言葉のもつ意味以上に幅が広く、人により捉え方はさまざま。

 

最初は、自己紹介も兼ねて、それぞれの考える「編集とは?」について話をしていただきました。3名のゲスト全員が「編集とは何かを表すのは、むずかしい・・」と枕詞をつけ唸ったが、どうやら編集者という役割をもつ人でさえ、編集とは容易には捉えがたい概念のようです。

編集とは、暗闇の中の光

編集を「暗闇の中の一時の光だ」とおっしゃったのは、TOKYObeta Ltd.代表取締役であり、編集者兼ジャーナリストの江口晋太郎さん。(ちなみに今私は江口さんのところでインターンをさせてもらっています)

 

「メディアが雑誌・新聞・テレビだけのものだった時代から、現代ではSNSの普及により個人のふるまいがメディアとして様々なものを指し示すようになった。そんな変遷の途中である今の時代、混沌としていて、誰もがどこへ向かうべきか、どうあるべきかを迷っているように感じます。

 

「編集」するためには、全体像を俯瞰して見た上で、何かと何かを繋ぐという、一段高い視座をもつ必要がある。そのような「編集」的な視点・思考をもつことにより、自分の行き先、社会のありようのヒントを得られるのではないかと思う」(江口さん)

誰もが迷い、暗中模索する今、自分・組織・社会のありようの方向性を示すための一つの光として「編集」があるとおっしゃっていました。

編集の役割は、共通言語のない人にもわかるように言葉をつなぐこと

2人目のスピーカーは モリ ジュンヤさん。現在inquireCEOであり、NPO法人soarNPO法人マチノコトの理事でもあるといういくつもの顔を持っています。

 

モリさんいわく、編集とは「科学館にいるコミュニケーター・ファシリテーター」の役割と似ているという。

 

コミュニケーターとは、専門的な話を、知識のない人に対して、わかりやすく説明する人。科学館や博物館にいるスタッフの人を想像してもらえばわかりやすいかもしれません。ファシリテーターは、話を交通整理して、全員がわかるようにまとめていく役割の人。

 

これらの役割をまとめると「編集とは、共通言語のない人に言葉をつないでいく翻訳する行為」を指すという。今、橋渡しをするような仕事があちこちで求められてきているとも言っておられました。

 

編集の世界はレゴブロック

そして最後に、今回のイベントのモデレーターを務める、長谷川賢人さん。長谷川さんは、会社の営業職、ライフハッカーなどの会社での仕事の経験を経て、去年からフリーランスとして、編集・ライティング・講演などの活動をされている。

 

彼によると、編集はレゴブロックの世界と似ているという。

「レゴの世界では、作り手の自由な発想によって、ブロックを組み替えていける。作り手によっては、家の窓となるはずのブロックも、車の窓になることもある。ひとつのものが捉え方によって、別の意味を帯びてくるんです」(長谷川さん)

 

編集も同じで、世の中のあらゆるものをブロックのひとつとして見立て、その組み合わせにより何かを作ることだと捉えておられるようです。

 

「はたらき方×編集」

自己紹介も終わったところで、いよいよ本編に入ります。最初のテーマは「働き方×編集」。編集の仕事を手がける3名から、編集的な目線による働き方についての議論が交わさました。

 

これからのリーダーに「編集」が必要な理由

リーダーシップと編集は近い場所にある、という考えをお持ちの三人。

文化や流行がどうなっているかを掴み、そして次に何の波が来るかを予測し、言い続けていく。厳密には10年後どうなるかなんて予測はできない。

 

だけれど、言い続け発信し続けることによって、それに共感する人が生まれ、ムーブメントだったり流行へと繋がっていく。これは、未来の不確実性の高い今の時代に、起業家やリーダーに求められることと通ずるんじゃないか。

 

プロジェクトからどうフェイドアウトしていくか

これからは1人がカリスマ型のリーダーシップをもって引っ張るのではなく、関わる全員がオーナーシップをもってやっていくことが必要となる。

もちろん、プロジェクトが始まったときには従来型のリーダーシップでチームを引っ張ることになるけれど、そのあとはリーダーがどうフェイドアウトできるか。現場にどう権限移譲するか、グラデーションをどう作っていくかが必要なんじゃないかと思います。

 

「リーダーがいなくても大丈夫な状況」を作っていくということ。私のインターン先のチームでは、社員さんが一人もいない中で記事が最終編集のレベルまで磨かれる。

 

その仕組み化に至るまでに、うちの編集長も同じように、現場に権限移譲をするという視点をもってやってきていたのだろうなあ、と編集長の顔を浮かべながら話を聞いていました。


どのようなボールを投げると相手がもっとも受け取りやすいのか

働き方や組織においては、関係性の編集力が大切だと思っています。

時間をかけて対話をしていく中で、相手はどういうボールを投げたらキャッチしてくれるのだろうか、と考えます。ストレートでボールを投げたらいいのか、スローカーブなのか。コミュニケーションにおける相手とのキャッチボールの球の投げ方を変容させていきながら、その人が一番やりやすい形でやっていくことが大切。 

 

相手が誰かによって、受け止められるボールは確かに違うよなあと改めて思いました。

 

「ソーシャル×編集」

休憩後は、テーマが「ソーシャル×編集」。ここでは主に、まちづくりや地域とメディアの関係についてのお話が中心となりました。

 歴史を紐解いていく/解像度をあげる

例えば町だったら、どのような栄枯盛衰があって、どのような変遷があったかを知ること。過去の失敗だったりは、もう住人は繰り返したくないというトラウマ的なものをもっていたりする。

 

それを知らないままにプロジェクトを展開するのはいけない。これまでどういうプロセスがあったか、そしてその地域の固有性とリソースを把握することから始まるんじゃないかな。

ここの話で印象的だったのは、プロセスを知ることは、チームビルディングや人と関係を結ぶときにも同じように大切だということ。

 

つい「今」のその人の興味や関心のみに注目してしまうことが多いけれど、実は、相手への理解を深くするには、以前はどういうことをしていて、以前は何に関心があったかのプロセスを知ることが大事だという話があって、うんうん、と激しく頷きました。

 

「ただのタナカさん」より、「○○をしてきて、▲▲に関心のあって活動してきたタナカさん」のほうが、解像度があがっているとのこと。相手のことを知るときに解像度という言葉を使うのはおもしろいな、と思って聞いていました。


そんな感じで長くなってきたので、そろそろ終わりにしようかなと思います。

 

おわりに、的なやつ

今回のイベントを通して。
編集的な観点でものごとをとらえていく、というのは普段よりも一段高い視座に立ってみるという言葉が心に残りました。

このあたりはメタ認知だとかNLPとかで言われる話にも似たものがあるな、と感じます。

 

加えて編集は、一段高い視座からとらえた個々の出来事に意味づけをして、それぞれをつないでいくということなのかな、となんとなく思いました。わかったような、わからなかったような。


これからは、参加したイベントはちゃんと言葉にして残していこう。ゆるゆると力を入れすぎずにやっていきたいなあ。

学校の保健室みたいなところ

思っていたよりもメンタルが弱かった。

 

「そんなにしんどいなら戻ってきたらいいやんか」

おいおいと泣く私の背中をさすりながら、パートナーはそう言った。

 

自分が書いたwebのコラム記事のview数は日々伸びている。ということは、誰かがサイトに訪れ私の記事を読んでくれているのだろう、そのことはわかる。

だが、それが生の人間に届いているという実感がない。どんな人が読み、読んだ結果、何を感じるのか、それが見えてこないのだ。

 

朝から夕方まで黙って仕事をして、業務が終われば自宅に帰る。住んでいるのはシェアハウスだが、住人同士 お互いに顔を合わせることはほとんどない。一日の中で、交わすのは「この部分はこれこれを意図して書いています」などと会社の編集さんから受ける指摘に対して返す言葉。ほぼそれだけ。

 

休みの日には、部屋の掃除、読書、料理。心が晴れやかなときには、ワークショップに出かけたりもする。友人がいないので、一人で行って一人で帰ってくる。

 

東京での生活、会社でのライティング、すべては自らが望んでやり始めたことだというのに、いつの間にか自分を苦しめるものになっている。誰にも話すことのできない、行き場のなくなった感情は自分の内側に積もっていく。

 

仕事でも話すことがない、休日にも人と話さない。

こんな日々を送っているとどうなるかというと、人が怖くなる。少し人と話すだけでも、ギアをマックスまで引き上げなければならず、ひどく疲弊する。うまく人とコミュニケーションを取れなくなる。例えるならば、長年油をささず錆びれて動けなくなってしまった機械みたいに。

 

そんなときに、地元に住むパートナーと喧嘩をしてしまい、対話をするために地元に戻ることになった。長くなるので喧嘩の内容については、またのちほど。

 

無事に和解をして、話をしているうちに、自分でもわからなくなるほどに涙が出てきた。仕事でうまく成果を出せないこと、友人がいないこと、頼れる先がないこと、一人で過ごしていること、など東京での日々のあれこれについて、堰を切ったように話をした。言葉が口から出てはじめて、ああ、自分はつらかったんだな、と気付く。

 

そんなに苦しいなら戻っておいで、と声をかけてくれたのはこのときのこと。

 

自分が自分らしく生きるためには、人と感情を交わし合うような対話の時間が必要なんだと、ここ1ヶ月人を避けて暮らした孤高の生活をとおして知る。

 

やりたいことはその時々に変わる。でも、ころころと変わるその「やりたいこと」の裏側には一貫性がある。「誰もこぼれ落ちない、境界線のないゆるやかなつながりのある社会をつくる」という2月に掲げたビジョンは今も変わってない。

 

社会的に孤立していなくても心理的に孤立している人はいる。ついぞさっきまでの自分のように。一度負った傷をかばうようにして、どんどん殻を厚くしてその内側にこもっていった自分。

 

そんな心理的に孤立している人をとりこぼしてしまわないような、あたたかい場所。存在があるだけで肯定されるような場所。つくれないかなあ。学校の保健室みたいな、無条件に受け入れてくれるところ。

全部必要なプロセスだってわかる。

人との関係をはぐくむこと

人とのかかわりの中で、結局のところ最後に残されるのは対話なんだと、今日あらためて実感した。

 

悲しみや怒りの感情から、反応的に即座に行動するのではなく、自分の中に湧きあがった感情の奥にどんな願いやニーズがあるのかを観察する。いったん立ち止まって俯瞰することが、たぶん人との関係において超だいじだ。

 

過剰に自己否定に陥ることも、相手に責任をなすりつけることも簡単にできちゃうんだけれど、その安易さをとると「本当の問題」が見えにくくなる。

 

恋人や家族とかいう、距離の近い親密な他者に対しては、自分の心理的なコミットメントの度合いが非常に高いし、自分とは全く別の他者として切り離しができない分、ブワッっと火が燃え上がるが如く、感情的に立ちやすい。

 

だからこそ、徹底的なくらい対話が必要になってくるんだろうなあ。できるだけ相手も、自分も(ここ大事)傷つけないような非暴力的なコミュニケーションが望まれるわけ。聴くことでしか関係は開かれていかないよなあという実感が今ここにある。たぶんこれからも変わらない。

 

困難なことも、苦しいことも、その渦中にいるときはその状態から早く抜けたくて堪らないし、ゲロでも吐きたい気分になるけれど、長いスパンで見ると全部成長のために必要なプロセスだよな、とここ最近何度も思う。

 

でも不快なものは見ないふりして蓋したいし、向き合わずに通り過ぎたい。

適当に効率的に、さっさと取り除きたいという気持ちもよくわかる。

ある人のいう「半径5メートルの現実は、自分が創りだしている」という言葉が間違っていなければ、現実は自分の意図と意識次第で創り変えていける。

 この3つを通して、私は大切な人との関係をはぐくみたい。

1、相手の話を遮らずに、最後まで聴いて、一旦受け止めること

2、相手の意見を頭からぶった切らず、かつ、自分の意見も主張すること

3、そして妥協や我慢という形ではなく、「互いが」「本当に意図する」関係、あるいは状況を模索し創りだしていくこと


ジェンダーアイデンティティだけでなく、すべてのモノ・コトにおいて流動的でありたい、という意図から生きる。

とりとめのない話

自分のもといた場所や環境から離れ、大きく移動をする瞬間が節目であるとするならば、私は今ひとつの節目を迎えようとしているといえよう。16日間の旅を終えた後、地元で1週間ほど休養をとり(常に休養であるといわれればそうなのであるが)、そのあと仕事を含む様々な用事をこなすために1週間だけ東京へ戻ってきた。そして今日、大事な用事のために再び東京を旅立ち、福岡へと向かっている。

 

現在、広島駅へと向かう電車の中でこれを書いている。乗り換えが17回、到着までになんと27時間36分かかるという壮大な電車旅である。今、世間はお盆の時期で、金のない学生にとって飛行機や新幹線のチケットは手の出ない代物である。

 

そこで、そんな貧乏学生の旅行を支えてくれるのが青春18きっぷだ。青春18きっぷを使うと、東京-福岡間をわずか4500円弱で移動することができる。その恩恵を今存分に受け取っている。

 

電車の中では、絵を描いたり、音楽を聴いたり、ぐっときた曲の歌詞をノートに書き写したり、寝たり、というループを繰り返していたものの、早朝の新大久保駅の始発電車に飛び乗ってから15時間が経ち、そろそろこのループだけでは退屈しのぎが間に合わなくなってきたので、ブログでも書こうかと思う。いつも通り特に伝えたいことはなにもない。ただの自分のためだけのライフログである。

 

【役割の話】

旅から帰ってきてから2週間弱という時間を経て、記憶能力に欠陥を抱える自分は旅で起こった出来事をそろそろすっかりと忘れ、よっぽど意識をしない限りは思い出すこともなくなってしまった。

 

「すべての物事には意味がある」という言葉がもし本当なのだとすれば、あの16日間には何らかの重要な意味があったはずである。旅の記憶が薄れていく中で、その意味が一体何だったのかという答えも見つからず、一人置いてけぼりをくらった子どものような気分で日々を過ごす。

 

大事なのは、「自ら選んで」一部になっているということ。

選択して、自分の状態に対して、自覚的になっていくこと。 

 

人との中でなにかの役割をもって機能したいという思いがいま、とても強い。

 

あの子たちといた時間をつい、思い出してしまう。

幸せな時間。

 

【「自分らしくある」ことの輝かしさと難しさ】

自分らしく生きることで誰かを傷つけてしまうことがあると知ったとき、私はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

 

 

「強さとは」という問いに対して、

「失うことを恐れず走ろうと決めたとき近くに誰かがいること」だとあるアーティストは歌った。

 

勇気をもって踏み出した一歩を見ている誰かがいること。

その事実に支えられて生きている。

 

空は青い。

どこに繋がって生きていこうかな。

 

これから長崎県壱岐に向かう、始まるラーニングジャーニー。

何が起こるかわくわくする。

未来のことが楽しみであるという感覚は、ずっともって生きていきたい。

「生きる」と「学ぶ」をつなぐ

長らくの間、特に外部に発信したり伝えたりしたいことがなかった。これまで、日々の気づきや問いを記すのは自分だけが閲覧できる日記のみであった。気づきも問いも自身の内側にもつだけで十分だった。

 

「書きたいという思いが出てきたときにまた帰ってきます」といって前回の記事を更新した日からちょうど100日が経った。久しぶりにブログを書く。 

 

長らくもち続けていた問い

 

つまることろ、働くとはどういうことなのだろうか。これは、奈良女子大学大学院の休学を決め、奈良の都を飛び出した今年の2月からずっと持ち続けている問いである。

 

学部時代は教育について勉強しており教員免許を取得済みだったので、以前は明確な意思をもつことなく自分は学校の先生になるのだろうと思っていた。しかし、強い思いもないままに、「教員免許を所持しているから」というそれだけの理由で小学校の先生になる、という道筋があまりに安易に思えたのだ。そして大学院を休学するに至る。本当にやりたいことは何なのだろうと模索する日々が始まってから、6か月が経とうとしている。

 

NPO法人のETIC. のMAKERS UNIVERSITYというアントレプレナーシップを謳い実践への一歩を踏み出すプログラムに参画するために大阪から上京し、まったくの新しい環境の中に身を置いている。過去の自分を知っている人は一人もいないという状況の中で、新しい人間関係を築く。自分の存在やアイデンティティを対話を通して言語化し、思考し、問い続ける日々がそこにはあった。

 

ひょんなことがきっかけで旅に出かけようと決める。

 

ヒッチハイクをする!で始まった旅

 

16日間の旅を終え、地元の大阪に帰ってきた。博多から出発し、翌朝に大阪のバスターミナルに降り立ったした瞬間、ひどくほっとする自分がいることに気が付く。9時間の夜行バス乗車で体はボロボロに疲れていたが、心はすがすがしいほどさっぱりとしており、自然に足は実家の方向へと赴く。

 

結局、ヒッチハイクをすることは一度もなかった。 ヒッチハイクをするためには、精神的にも体力的にも余裕がいるのだ。今回の旅においては、自分の中にそのような勇気や気概が発露することは一切皆無だった。

 

宿や訪れる場所を一切決めることなく、Peachで片道の航空券を、そしてバイト先のLITALICOで3週間のお休みをとって、東京を飛び出した。泊まる場所も、観光先もあえて決めない。こうして旅が始まった。滞在先は、沖縄と九州。持ち物はバックパックとテントと、一眼レフ。それらをひっさげた自分を乗せた飛行機が成田空港から離陸する。

 

沖縄では、大学の部活時代の同級生を本州から迎えもてなしたり、渡嘉敷島という離島に渡って一人シュノーケルをしたり、クリスチャンの宣教師のおばあちゃんと映画を観に行ったりして過ごした。那覇市にあるまちライブラリーで「本棚を作るDIYワークショップ」に参加したりもした。また、身寄りのない現地のおじちゃんの家に泊まらせてもらい、彼の自宅にてアダルトビデオを見せつけられる、というやや危険な目にも遭ったりした。

 

九州では、友人畑山菜々美さんと三浦敬洋さんが主催するキャンプでカメラマンとして写真を撮ったり、近所にある竹を切ってコップを作ったり、今年度設立された合同会社こっからという会社のオフィス兼自宅にお邪魔させてもらい、畑仕事や室内のリノベーションをお手伝いしたりした。主には、毎日温泉に入り続けた1週間だった。

 

旅を通じて新たな自分を見つける

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自らの深い部分にアクセスする瞬間が訪れることがある。それは、個人的には、お風呂に入っていたり、海に潜っていたり、川べりに腰かけ木々の奏でる風の音に耳を傾けていたりと、水や自然が近くにある瞬間であることが圧倒的に多い。

 

旅の中でいくつかの気づきがあった。「弱い自分の発見」がその中のひとつとしてある。東京に上京してきてから今に至るまで、自分のやりたいことを言語化できず葛藤し悩むことはあったものの、その中でもなぜか「自分は必ず大丈夫である」という根拠のない自信があった。「何が」「どう」大丈夫なのかは全くわからないが、どんなにほかの人から問い詰められようと、とにかく「大丈夫だ」と胸を張って居直ることができていた。

 

だが、今回の旅の中で、根拠のない自信がどこか深い場所に隠れてしまい、その代わりに根拠のない不安と恐怖が胸の中に広がったときがあった。具体的にいうと、ちょうど本州から来た部活の同期たちと別れて、沖縄にひとり残された瞬間である。自身の将来についての焦燥感や、周囲との比較、付き合っているパートナーとの喧嘩、誰も自分と繋がる人はいないという孤独感。無力感、不甲斐なさ。そんなネガティブな感情に支配され、何をする気も起きずぐったりとしてただただ日々を消費した2日間の時間があった。 

 

大丈夫でない自分の存在を知ったとき、胸の中に小さな驚きがあった。今までは、しなやかで折れにくいと思っていた自分の中に、弱くてふがいないだけの自分の存在を見つける。

 

旅中で最もつらく、弱っていたときの日記。DAY6。ネガティヴモードに入っているときには、筋道立てて物事を整理し、言語化することができなくなってしまう。「自分のだめさに笑う」「吐きそう」「勝手に一人で傷ついている」など、旅を終えた現時点では考えにくいほど過酷で切迫した精神状態だったことがうかがえる。

 

 そして大好きな坂爪さんの言葉に救われ、少しだけ元気を取り戻す。

 

「生きる」と「学ぶ」をつなぐ

いらないものがそぎ落とされたときの自分が好きである。過去への執着やこだわり、提出しなければいけない課題や、人間関係におけるわだかまりなどを一旦に脇に置き、目の前にある「今」に没入する瞬間。過去でも未来でもない「今」を生きる瞬間。このとき、誰のものでもない自分の人生を生きているのだ、という実感を持つことができる。

 

旅を終えて二日が経つが、働くとはどういうことか、いまだその解は出ていない。しかしこの旅を通じてようやく、生涯をかけてやりたいことを明確に捉えることができた。まだ完全には言語化するには至っていないが、はっきりとした輪郭を伴ってそのイメージを持つには至っている。

 

「生きる」と「学ぶ」をつなぐ学校を作りたい。16日間の旅を経て、自分の胸の中に残るひとつのフレーズである。

「生きる」と「学ぶ」をつなぐ】

場作りをしながらコミュニティをデザインするという生き方に、魅力という言葉では表現しえないほど強く惹かれる何かを感じる。

 

デンマークにフォルケフォイスコーレという学校がある。当時の詰め込み暗記型の教育を批判し、「生きた言葉」を使い、語り合い響きあうような対話を重ねて、自分たちをとりまく世界を学ぼう、という創始者の発案により作られた。ここでは、18歳以上の多種多様な職種、国籍の人々が集まり、対話や身体表現、読書や料理を通じて、寄宿舎で生活を共にしながら学んでいる。

 

旅から帰宅してから、この学校の存在を知った。今まで自分の考えていたことをまるっと体現している学校が存在していることに対して言い知れぬほどの驚きを感じた。こんな場を私も作りたいと強く思った。

 

まずは、ひとつずつ試験的に丁寧な場づくりすることで着実に一歩を踏み出していきたい。

 

https://www.instagram.com/p/BIBx3C6DHRP/

「共に在ること」#sea #summer #sky #being

 

場づくりを共に行う仲間を募集中。

のびのびとブログを書く

 

今日は大阪にいる母からの手紙が届いた日でした。

胸が痛くなると同時に愛されていることへのありがたみを感じました。

 

それともうひとつ思ったこと。

私がやることが尊いか尊くないかということは私が決める。

あんたの人生ではない、私の人生だ。

(過激な表現)

 

東京で生活を始めてから3か月が経った。

ゲストハウスでの暮らしにも慣れてきた。

ああ、誰かに読まれると思うとやはりのびのびと書くことができないな。

 

自分の書いた文を誰にでも読むことのできるよう公開することへの恐怖を克服することができたらまた戻ってきます。

 

今日は住宅街の中にひっそりと息づいていたコインランドリーを見つけました。

ごうごうと音を立てて、幾人もの服や下着を洗っていた。

 

また明日も歩く。