未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

経験主義者かく語りき

エントリーしていた企業から続けざまにお祈りメールがきた、研究が全く進まない、大学院生活、教授間のダブルバインドに挟まれている…辛いし鬱だ…死にたい…という記事を書こうとしていた。だけれど、書いている途中でばかばかしくなってやめた。

 

高飛車なスタンスではあったと思うが正直なところ、就活では絶対にすんなりと内定を貰えると踏んでいたし、研究だってなんの障壁もなくうまくいくと思っていた。予想していない展開がやってきていることに対して、ショックの気持ちは隠せない。一時期は大学にいくことが億劫すぎて、働いているゲストハウスのお庭で日がな金魚を見つめていることもあった。登校拒否である。24歳にもなっていい大人が登校拒否だなんて!そんな欝々とした気分で最近の日々を送っている。

 

だけれど一方で、もう一人の自分もいるのだ。こいつは、思い通りにいかないなーと思うときにひょっこり出てくる。これからのことについてどうなるやら、予想外の展開の先がどうなるか興味深く見守っている。ある意味先の見えなさを面白がっているみたいで、予定調和でなければないほど、テンションがあがり元気になる。落ち込んだとき、こいつの存在は結構頼もしい。

 

こいつが自分の中に住み始めたのは、去年大学院を休学しているときのこと。休学中には私は、起業する気なんてさらさらないのに、なぜか起業を目指す学生たちのコミュニティに所属していた。そのときに出会ったたくさんの起業家の卵たちからこの「予定調和を好まない」というマインドを受け継いだ。今世界には、AIだとかビットコインだとかいう新しい概念が現れてきていて、世界の中の当たり前を徐々にひっくり返すときに世界がどうなっていくのかわからない。見通しがつかないことって結構こわい。だけれど想像もつかない、描くことのできない未来の中に放り出されること好む性質の奴らは、大変に興奮した面持ちで先のことを語るのだ。わくわくした、躍動感をもって。

 

突然だけれど、私には学校の先生になるという夢がある。実は教員免許はすでに持っているので今就活をやめて先生になるということだってできるのだけれど、そうじゃない。大学を卒業してそのまま学校で働いたって伝えられることは多くない。(大学を卒業してそのまま先生になる人を否定しているわけじゃないです…!)先生になるとしたら、身体全部を使って世界を体験して、その経験を使って子どもたちと学んでいきたいし、自分の経験を子どもたちのもつクリエイティビティと掛け合わせて、クラスや学校をつくっていきたい。

 

世界を体験するには、社会に放り込まれていくことが欠かせないのかもなと思う。今は自分は学生という立場なので、少なくとも守られていてあたたかいし、たぶん「光」の部分しか知らない。これからは、少々つらくとも「闇」といわれる部分だって見たいし、理不尽な経験をして歯がゆさを感じる経験だってしてみたい(ほんとはしたくないけれど)。

 

持論になるけれど、体験は少ないよりも多いほうがいいし、薄いよりも濃いほうがいいと思ってる。入社を希望していた企業からお祈りメールが来たことも、研究が迷走してあらぬ方向へ走っていっていることも、教授間のダブルバインドに挟まれる経験も、畑を耕すひとつぶひとつぶの肥やしとして、私の「生きる」を豊かにしてくれているのかもしれないな、書いているうちにそう思えてきた。

 

お祈りメールに一憂する自分は、すごく小さな視点でしか物事を考えることができていなかったのかもしれない。なんというか、もう少し大きい目線でものを見てもいいんじゃないのか。そんなことを考えた土曜の朝。

 

今日は演劇の稽古だ!たのしみだー!

身体のこと

どうやら身体があるらしい。

そんな感覚が2016年末ごろから自分のもとに訪れてきている。

 

容姿に気を遣うことになんてこれっぽっちの価値はない!そんな意味を込め「いやあ、どうせ体は入れ物でしかないからね」と確かに私は言った気がする。

 

おしゃれをして、 髪の毛をコテで整え、 慣れない化粧をがんばり、成熟への一途を辿ろうとする高2の妹へにべもなく放たれた姉からの言葉が、当人の顔をゆがませるのは容易なことだった。今振り返ったら大変失礼な話だったと思う、ごめんね、妹…

これが家族旅行へ行った2016年10月のこと。

 

今年になってから「身体」について考える時間が続いている。別に「考える」といっても、本や論文を読んだり、ディスカッションしたわけでもなく、自分や他人の身体に意識を向けているという程度なので、うまくいえるかどうかわからないのだけれど、今日は「私と身体」について書いてみたい。

 

思えば昔から自分の身体に対するコンプレックスが強かった。

例を挙げるならば、右乳と左乳の大きさが違うことから、目が一重であること、腰幅が広すぎる、尻がでかい、手足指が短い、唇の色が薄い、胴が長すぎる…等々キリがない。すべて挙げ終わったころには朝がきてしまう。

 

こんな調子で自分の身体が好きでなかったので、今まで「身体を愛する」という意識をもったことはないし、あれだけテレビで雑誌やらで体をケアする商品や番組をやっていたにも関わらず、「身体を愛する」という発想がこの世にあるとも知らなかった。厳密にいえば、「知ってはいたけれど自分とは無縁のもの」だと思っていた。 

 

私にとって、身体のことを考えていいのは、生まれつき容姿の素敵なキラキラした子だけだったし、私なんかが身体のことを考えたり、容姿に気を遣うなんておこがましい!だめだめ絶対、という強い否定的な感情があった。

 

それは女子校育ちの過去11年間で、どちらかといえば「男性的」な役割に身を置いていたせいもあったのかもしれないなあ。「女の子になりたい!」と望む自分の気持ちにNGを出す、もう一人の自分がいたことは違いない。

 

 以前書いた この記事では、  "アイデンティティ"とか"自分事"とかムツカシい言葉を使ってぼやかしたのだけれど、 要するにこれは「女の子になりたい!」という心の叫びだった。正直にいうと、かわいくなりたいのだ。包み隠さずにいうとこんな感じ。そう、女の子になりたいらしい。

 

身体については、今はどちらかといえば「乗り物」という感じが近いけれど、昨年に妹に対していった体は入れ物だという意識は今でも持っている。ただ、昔と異なることはいくつかあって、そのうちのひとつに「諦めがついた」ということがある。

 

 よく聞くことだけれど、死ぬまでの生きている間はこの身体を使っていかなければならない。どれだけ願っても私の身体が木村文乃と入れ替わってしまうなんていう君の名的な展開はやってこない。ないない。

 

ふっと諦めがついた。最後までこの体でいくなら、大事にせねばなあ。

そういう意味で向き合う自分の体に覚悟ができたとでもいえるかもしれない。

 

「ラオスにいったい何があるというんですか」

飛行機の乗り継ぎ経由地のクアラルンプール空港からこの記事を書いています。

 

自分の体験した出来事を文章に記すことについては、一晩置いてみたらおいしくなるカレーのようなものだで、書くまでの間にしばらく時間を置いたほうがよいと考えることもできるけれど、今ここにある自分の気持ちは生もので割と鮮度が大切な気がするので、消えてしまわないうちに。

 

今心に浮かんでいるものを文字に起こしてみることが最優先なので、文脈も構成も考えないままに思いつくがままに(いつも通りか)、だらだらと綴っていこうかなと思ってます。


ラオスに行くことが決まったのは去年の年末だった。

部活の友人たちとタイにいく約束をしていたのだけれど、時間があるのでせっかくなら彼女たちが帰ったあとに一人で別の国にも足を伸ばしてみよう、そんな気軽さで選んだラオス。二つ目に行く国をラオスに決めたのには特別おもしろい理由はなくて「タイに隣接するビザの発行がいらない国」というなんとも適当な基準からだった。

まあ、どこでもよかったのである。ただ、一人で海外で過ごしてみるという体験をしたかっただけだった。

 

そして、はじめての一人旅の舞台として選ばれたラオス

 

村上春樹が色々な土地を巡った紀行集をまとめた本を出しているのだけれど、そのタイトルを「ラオスにいったい何があるというんですか?」という。

数々の旅行先を綴っているのだから、もっとほかによいタイトルもつけられそうなものなのに「ラオスのなにもなさ」をわざわざ1冊の本のタイトルとするくらいだから、国を訪れる前から、ラオスには特段なにもないのだろうなあ…という予測をつけていた。なので、作業をするためにもノートPCを持参することにした。加えてSkypeのインタビューの仕事の予定も入れたくらいだ。

 

けれど、一方で私は村上春樹の書き手としての感度の高さを尊敬していて、彼がわざわざ著書のタイトルとして選ぶのには、きっとラオスには「なにか」があるのだろうという期待もあり、私はラオスに行くのがとても楽しみだった。実をいえば、友人と行く予定だったタイよりも楽しみにしていた(ごめんなさい)。

 

たしかにラオスは特別な「なにか」がある国ではなかった。タイのように刺激的なニューハーフショーがあったり、道路の脇に立ち並ぶようにして夜分遅くまで屋台が乱立したりするわけでもない。華やかというよりは地味だし、観光する場所というよりは暮らす場所に近かった。そりゃあ日本という別の文化のある国から来たよそ者の私にとって、驚くような出来事はいくつもあったけれど、目を見開くような派手さや観光すべき特別なものは何もなかった。

 

そんな地味で暮らすための場所、ラオスに私は6日間滞在した。

いきなり先に旅の終わりのことを書かせてほしいのだけれど、ラオスから離れるときに私が味わったのは、ひどく痛くなる自分の胸だった。もしかすると目じりには涙の一粒も浮かんでいたかもしれない。

日本を出国するときにも思いもよらない感情が湧き出てきたので、痛くなる胸に自分でも驚きを隠しえなかったほど。ラオスを離れることがとても寂しかった。これを書いている今、ラオスを離れてから約10時間がたつけれど、まだ寂しいし、あの国のことを恋しく思っている。

 

村上さんの「いったい何があるのですか」という書籍の問いに対して答えるとするならば、ラオスには「生活感」であったり「素朴さ」があったように思う。その素朴さがたまらなく好きだと感じた。

 

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あまりに素朴すぎたせいでカメラを構えようとも思わなかったのか、町並みを映した写真がほとんど見当たらなかった。唯一見つかったのがこの写真。町にはにわとりや犬がうろうろとしている。(写真の真ん中下のほうにいるよ)

 

この数日間で、おもしろいエピソードが特に起こったわけでもない。ラオスの土地にあったのは普段の日本での生活でだって割とよく見るような光景だった。

 

たとえば、炎天下を長距離歩いて、暑い暑いとひいひいいいながら食堂に入ると、お店のスタッフであるおかんらしき女性が「いやあ今日は暑いわよねえ」と笑って迎えてくれたかと思えば、その数秒後にはキッチンでスマホを触ってYoutubeを見ていたり、京都の鴨川沿いの等間隔の法則みたく、夕方にはメコン川沿いで家族や恋人たちが等間隔に腰かけ夕日を眺めたり、夕暮れには同じく川沿いでエクササイズをしている集団がいたり(私もこっそり混ぜてもらった)、道端では子どもたちが鬼ごっこをしていたりと、そこにはラオスの人たちの生活や暮らしというものがあった。

 

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鬼ごっこする子どもたち。子どもたちが遊ぶ姿をラオスではよく見かけた。


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あまりにすることがなさすぎて、髪の毛を切ってもらうためにに町の角にある床屋にいった。いい感じに短くしてもらった。

 

私が今回見せてもらったのは彼ら彼女らの生活のごくごく一部でしかないのだけれど、その断片に少しだけお邪魔させてもらった私が、ラオスを感じてみて今思うのは、ひんしゅくを買うことを恐れずにいうと、私もここに住んでみたいなという思い。6日間なんていうお試し限定期間ではなく、もっともっとここの土地の空気を味わいたいし、この土地の言葉で人々とやりとりをしてみたいと強く感じた。

 

少し話を脱線させると、ラオスに住んでみたいという思いをもった原因にはひとつ心当たりがあって、旅の最後ひどくよくしてもらったエイさんという人(うろ覚え)のせいかもしれない。(名前がうろ覚えなことについて:私の先輩のこの記事がとても素敵)

飛行機の出発する空港付近で迷子になっている私を見つけ、道案内のうえ、バイクで川遊びにまで連れて行ってくれ、その上お酒までごちそうしてくれた兄ちゃんである。

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 川に続く道を案内してくれるエイさん。10キロほどあるリュックをもってくれる心優しき兄ちゃんである。

 

お互いに英語ができないので向こうの言っていることの半分も理解できないし、私のいうことを彼が理解していたのかどうかは定かではないが、彼には、ラオスという国のこと、そこでのくらしのことを言葉によってではない形で教えてもらった。バイクで連れまわしたり、川で一緒に泳いだり、地元の居酒屋でともに時間を過ごしたりしながら。

(特におもしろいエピソードはないといっておきながらなんだけれど、これは記事2つ分になるくらいのちょっとした事件だったので、またこれ別の機会に。)

 

 結局なにが言いたかったのかっていうと、ざっくりとした表現になるけれど、私はこの国のもつ素朴さがとても好きだということ。次に海外にいくときにどこに行きたいかといえば、ラオスに行きたいと即答する。

 

いつも記事の終わらせ方がよくわかなくて困るのだけれど、エイさんと朝までビールを飲んでいたせいで今日はほとんど寝ておらず、今机に頭がつきそうなほど眠たいので、今回はこんなところで終わりにしたいと思う。

 

これは11日間の旅の中で全体をふわっとまとめただけの記事。旅に事件はつきものというけれど、まだまだタイラオスで起こった驚きエピソードはたくさんあるので、折にふれて更新できたらなと思っている。

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ナムコン川の向こう側の山に太陽が隠れていく夕暮れの一枚。手前にいる犬と少年の後ろ姿が郷愁を誘う。写真が傾いてぶれているのは、カメラをもつ逆側の手にビールを握っていたから(一人で飲んでた)。

「読者を育てる」という視点について

読者を育てるという視点が身についた(かもしれない)。子どもの育ちに関するウェブメディアで記事を書いている。

 

「子どもが育つときにだいたいでるしぐさ」,たとえば「あうあう」という喃語といわれる発語,何かを指さす「指さし」の行為。情報を提供するライターとして,これらのキーワードについて書くときにに悩むのは【まだそのしぐさのでていない子どもをもつ親】に対してどのようなメッセージを投げかけるべきだろうということ。

 

最近意識にのぼってきたのが「読者を育てる」書き手でありたいという思い。読んでもらっている発信者側の立場として、「読者を育てる」 なんて大変おこがましいかもしれないがそれ以外の表現が思いつかない。

 

発達がゆっくりなために、一般的に「できる」と言われる月齢に、あるしぐさが出てこないということはきっとこれからも起こる。

 

少なくともこの手のキーワードに関していえることは、記事のゴールはよくあるSEO記事のように「安心してもらうこと」でも、DSM-Vや医学書のように「むやみやたらに詳細な枝葉となる細部の情報を伝えること」でもない。

 

記事として向かうべきゴールは、次におなじような不安が彼ら・彼女らに襲ってきたときに、いかに不安を解消し、どのようなアクションをとるべきなのか、自らの頭で考えられるような「思考力」を身につけられるような構成であることではなかろうか。

 

ライティングの仕事が決して楽というわけではなくむしろもがき苦しむことのほうが多いのだけれど,そういう泥の中にこそ得られるものがあるよな、仕事を通して感じることはこんな感じ。

 

 

Evernoteの雑記の放出1

その当時私の足を動かしていたのは、怒りや憤りだったのだと思う。

 
誰に対して?

さあ。

 

2015年までの自分は「LGBTの人達が生きやすい社会をつくる」などと息巻いていた。

この息巻き感の発端は、同性の女の子を好きになった中学高校時代の経験。これいわゆる原体験というやつだった。

 

当事者意識もあいまって、学部の当時はエネルギッシュかつ前のめりに活動をしていた。たとえばデモに参加したり学会に顔を出して喧々諤々の議論の輪に入ったり。がんばってたよなあと思う。

 

冒頭の問いに対して、「社会に対する怒りだったんだよ」と答えることはとても簡単なんだけれど(昔はよく言ってた)、あらためて問いたいのは、その「社会」って何なのよ、みたいなこと。

 

当時、私の知り合いには誰一人として私の性的指向性を批判する人はいなかったし、カミングアウトをして否定された経験もない。そりゃあインターネットを覗けば私のような性的指向のある人に対してホモフォビックな声をあげる人はいたのだけれど、それは生活空間にダイレクトに響くほどの脅威であるわけでは特になかった。

 

のに、私は何かに対していつも怒っていたし、その怒りが自分の足を動かしていたことは紛れもない事実。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 卒業に際して、これからどうするのか考えなければならない機会が増えた。

 

当時の「社会を変えてやるんだ!」というスタンスは自分の中からきれいになくなっている。どれだけ時間をかけて考えても、「社会」をどうこうしたいという意図は生まれてこない。

 

「社会」という抽象的な言葉ではなく、「特定の誰か」に置き換えてみたところで、意図のなさは変わらないのだ。別に「特定の誰か」を変えたい・誰かに何かを届けたいという気持ちもない。

 

これじゃあ就活もなかなか難しいよなということでいったんストップしている就職活動。

当時好きだった女の子とのあれこれは相変わらずふんわりと思い出として残っているけれど、今はLGBTのことに対する強烈なこだわりや「社会的なコト」からは解き放されている。

 

(もうちょっと言語化できそう)

(やっぱやめた)

 

怒りや憤りから生まれるモチベーションから解放された今、あらためて自分は何をしたいのだろう。問うてみるとやりたいことがないわけではないのだな、というか、あることに気付く。

 

書くこと、あと書くことについて考える人と一緒にいること

「書く」ということに対してこだわりがあるっぽい。過去1年間をふり返れば、「書くこと」に葛藤し続けた時間だった。

 

ちょうど一年前の日記。

2016年2月17日
201今日も、言葉を失っている。うまく書けないもどかしさは、体を揺する。

【言語化できない不安】
自分の想いを言語化できないことは、自分にとって最も怖いことだ。
想いに適した(最適な)「言葉」が見つからないとき、話の構成がうまく組み立てられないとき、私はどうしようもなく不安な気持ちになる。想いに最適な言葉を探すことは、私にとってとても大事な作業である。

 

2016年2月24日
毎日のようにふりかえりの冒頭に「言葉が出ない」と書いている。
 
適切な言葉を探し、丁寧に丁寧に言葉を選ぼうとするあまりに、自分の想いに見合った言葉を見つけるのが日に日に難しくなってきている。

 

こんな感じでここ1年は言葉に関してごくごくこだわっている自分がいることに気がつく。勉強会やったり(続かなかったけど)、インターンしてる会社で自らライティングをやりたいと手を挙げたり(未だに赤字だらけだけれど)。 

 

一人で夜中に悶々としたり。

 

 同性と付き合っていることに対する強烈な自己意識は薄れ、次はあらたに「書くこと」に対する強い気持ちが生まれている今。

 

自分のアウトプットに対して「よくできた」なんて納得感をもつことは殆どないけれど、よく考えたら最初からできる人なんて稀だよな。

 

職業としてのライティングとはまた違う自己表現としてのライティング。まずはEvernoteに溜まっている雑記を放出させていくことからはじめて行きたいと思う。

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超ドMの話

電話をしながら「付き合う」というのはどういうことなのだろうと考えている。
そもそも人と付き合うというのは一瞬の行為ではなくて、継続的に関係をもっているという状態であるといえるので「付き合っているとは?」という問い立てが正しいかもしれない。
 
兎に角、最近は「交際関係」のありかたについて折に触れてぐるぐると思いを巡らす。飲み会の席では必ずといってよいほど交際相手がいるか、どんな関係なのかを聞かれるし、友人との会話の中でもパートナーとの関係について話題となることが多いので、自ずと考えざるをえない状況に見まわれるのかも。

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自分には付き合って3年目になるパートナーがいる。最近は私が地元を離れたせいで遠距離の関係となり、頻度は少なくなったものの連絡は細々と行っている。
 
今回はそのコミュニケーションの中で相手から受け取ってしまうものについてのお話。
 
ここ数ヶ月やりとりの中で自分の心がふにゃふにゃになって崩れそうになることが頻繁にある。どんなことかというとこんな感じ。
 
ひとつひとつの言葉に棘や角張りを感じ、「怒っているに違いない」と相手の気持ちを勝手に想像しては一人で傷つくとか。
 
普段の生活の中では言葉で表現しきらない苦しみを知っているのに、相手には言葉の着地点を求め「どうしようかなあ」「せやなあ」ばかりですぐに途切れてしまう会話で感じる煮え切らなさや歯がゆさにパチンとはじけそうになるとか。
諦めに近いため息交じりの低い声からはごわっとした負のエネルギーをもらってしまう。
 
沈黙の間が心地よいなんてことはなくて、スマートフォンのスピーカーから聞こえる向こう側の空調機の物音で心をざわつかせる。ちくちく痛い。
 
距離が近いと、相手からはその分だけ大きなエネルギーを受け取るのだと思う。
 
「崩れそうになりながら、負のエネルギーをもらいながらも相手をケアし支えること」と、「自分を守るために距離を置きいったん離れること」。
相手が心理的にしんどい時期であって、話をすれば負のエネルギーを受け取らずにはいられない今、私はこのふたつの選択肢の間をいったりきたりしながら揺れている。
 
いや見栄を張ってしまった。今私はおそらく「いったん距離を置く」という後者を意識的に選んでいる。苦しいと感じたらすぐに相手と真っ向から向き合うことから逃げる。これはかれこれ昔から続くもので癖になっている。すたこら。
 
お付き合いの関係なら相手の気持ちに寄り添って支えるのが当たり前だろう!という意見があるだろうし、互いに想いあっているはずの恋人同士ならある意味この意見はまっとうなものなのかもしれない。
 
でも、という言葉が続く。
相手のエネルギーを受け止めるだけの度量がないといわれればそれまでだが、苦しいものは苦しいのだ。 大きすぎるエネルギーをもらってへばってしまわないように、「距離を置いていったんその場から引く」ことで自分の身を守っているふしがあるし、ひらりひらりと相手を変えては飛び回っているのはそのその苦しさから逃げる癖のせいかもしれない。
 
親密な関係をもつ人と本気で向き合おうとすると圧倒的に苦しいことのほうが多いから。 
家族・恋人同士で四六時中ひとつ屋根の下で一緒に生活する人たちを本当に尊敬する。自分にはとうていできそうもない。
 
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一対一の付き合いでは大きく感情が揺すられることはあんまりないのだけれど、パートナーからは大きな揺さぶりをもらう。
その揺さぶりを通して自分のことを知るという意味では、一緒にいることにはどうやら「まだ」価値がありそうだとかなんとも冷ややかなことを考えてしまう。
 
こんなことがあって大変苦しいながらも最近感じるのは、私たちはこれからも「こんなにも苦しいのになんで一緒にいるんだろうね」なんて言いあいながらもしばらくは関係を続けていくんだろう、などという根拠のない予感だ。
ついこの間友人にこの話をしたら超ドMだねなんて言葉を返されたけれどおそらく間違っていない、超ドMなのだろう。
 
電話をすればけんか、泣いて怒ってばかりの関係なんていいか悪いかでいえば圧倒的に「悪い」関係の部類に入るのだけれど、他の人の前では決して出てくることのない、むき出しの醜い私の姿を引きずり出せるのは今のところうちのパートナーしかいない。
 
約束をしたからといってずっと一緒にいられるなんていう保障はどこにもないので、どこかで途切れることを前提に人との付き合いをする。これは自分だけでなくパートナーとの間でお互い一致する見解。
これからの未来のことを嘆いてああだこうだいうつもりはないけれど、とりあえず今ここに私たちの間に関係があること、そしてそれを苦しいと感じていることをまるごと受け入れようと思う。
 

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自分事としての性

たまに発作みたいに人肌が恋しくなることがある。

 

クリスマスが近づいてきているからなのか、週に2度のペースで隣の部屋から聞こえる夜の情事の音のせいなのか、原因はよくわからないけれど今晩はそれがきたわけ。

 

かといって別に何をするというわけでもないんだけれど、吐き出さないとそれはそれで内側にエネルギーが溜まったままになって気持ち悪いので、こんな夜中にブログを書いている。

人によっては風俗いったりすんのかね、こういう気分のときみんなどうしてんだろ。

 

最近、自分の性について考えることが増えた。それは、社会のこととしていわば客観的に捉える性ではなく(LGBTだとか)、自分事としての性。(個人的なことは政治的なことだよみたいな議論は今回は度外視)

 

付随してセクシュアリティの揺らぎを経験する機会も増えたように思う。中性的な何かでありたいのか、女性的なものでいたいのか、居心地のよいセクシュアルアイデンティ(性の置き場)を探している感じ。あと自分が性的魅力を感じる対象は、どんな人なのかについてもよく観察してるかも。

 

女性器をもって乳が膨れているという事実からすれば、生物学的には女性そのものなんだけれど、ひと昔前までは「何者でもない特定できない何か」でありたいという一貫した強い思いがあった。それを考えると何なのか、最近の揺れる心は。

 

普段の生活ではほとんどないんだけれど、ごくたまーに「今日は女子の自分でいこう」と性別を明確に「決め」られる日があって、そういう日は見た目に気を遣い始める。自分の求める水準まで装いが決まった瞬間には(他人から見てどうなのかはともかく)、ダイヤルキーがカチッとあったみたいですごく気持ちいい。揺らいでいる自分をメタ認知的に楽しむ一方で、カチッとはまったらはまったで別の楽しさがある。

 

女子でいこうと「決まった」日には装いの他に、立ち振る舞いも変わる。視線のやり方なんて特に(これは最近気づいた)。なんだったら声色だって変わっているかもしれん。あとは相手との物理的距離感とか、体の動かし方、口数口調など。コミュニケーションにおけるありとあらゆる部分が変わるかも。で、そういう日には高頻度で冒頭に書いたような衝動に駆られることが多い。

 

誰彼構わず人肌に触れたい、みたいなやましさ(やらしさ)から書き始めた記事だったのに気がつけば、性自認とそれに伴う表現についてみたいな割と真面目な内省になってる。おかげさまで風俗にいくこともなく性的欲求はもろとも消えたので、この行為を文字オナニーとでも名づけようかね。