読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

「生きる」と「学ぶ」をつなぐ

長らくの間、特に外部に発信したり伝えたりしたいことがなかった。これまで、日々の気づきや問いを記すのは自分だけが閲覧できる日記のみであった。気づきも問いも自身の内側にもつだけで十分だった。

 

「書きたいという思いが出てきたときにまた帰ってきます」といって前回の記事を更新した日からちょうど100日が経った。久しぶりにブログを書く。 

 

長らくもち続けていた問い

 

つまることろ、働くとはどういうことなのだろうか。これは、奈良女子大学大学院の休学を決め、奈良の都を飛び出した今年の2月からずっと持ち続けている問いである。

 

学部時代は教育について勉強しており教員免許を取得済みだったので、以前は明確な意思をもつことなく自分は学校の先生になるのだろうと思っていた。しかし、強い思いもないままに、「教員免許を所持しているから」というそれだけの理由で小学校の先生になる、という道筋があまりに安易に思えたのだ。そして大学院を休学するに至る。本当にやりたいことは何なのだろうと模索する日々が始まってから、6か月が経とうとしている。

 

NPO法人のETIC. のMAKERS UNIVERSITYというアントレプレナーシップを謳い実践への一歩を踏み出すプログラムに参画するために大阪から上京し、まったくの新しい環境の中に身を置いている。過去の自分を知っている人は一人もいないという状況の中で、新しい人間関係を築く。自分の存在やアイデンティティを対話を通して言語化し、思考し、問い続ける日々がそこにはあった。

 

ひょんなことがきっかけで旅に出かけようと決める。

 

ヒッチハイクをする!で始まった旅

 

16日間の旅を終え、地元の大阪に帰ってきた。博多から出発し、翌朝に大阪のバスターミナルに降り立ったした瞬間、ひどくほっとする自分がいることに気が付く。9時間の夜行バス乗車で体はボロボロに疲れていたが、心はすがすがしいほどさっぱりとしており、自然に足は実家の方向へと赴く。

 

結局、ヒッチハイクをすることは一度もなかった。 ヒッチハイクをするためには、精神的にも体力的にも余裕がいるのだ。今回の旅においては、自分の中にそのような勇気や気概が発露することは一切皆無だった。

 

宿や訪れる場所を一切決めることなく、Peachで片道の航空券を、そしてバイト先のLITALICOで3週間のお休みをとって、東京を飛び出した。泊まる場所も、観光先もあえて決めない。こうして旅が始まった。滞在先は、沖縄と九州。持ち物はバックパックとテントと、一眼レフ。それらをひっさげた自分を乗せた飛行機が成田空港から離陸する。

 

沖縄では、大学の部活時代の同級生を本州から迎えもてなしたり、渡嘉敷島という離島に渡って一人シュノーケルをしたり、クリスチャンの宣教師のおばあちゃんと映画を観に行ったりして過ごした。那覇市にあるまちライブラリーで「本棚を作るDIYワークショップ」に参加したりもした。また、身寄りのない現地のおじちゃんの家に泊まらせてもらい、彼の自宅にてアダルトビデオを見せつけられる、というやや危険な目にも遭ったりした。

 

九州では、友人畑山菜々美さんと三浦敬洋さんが主催するキャンプでカメラマンとして写真を撮ったり、近所にある竹を切ってコップを作ったり、今年度設立された合同会社こっからという会社のオフィス兼自宅にお邪魔させてもらい、畑仕事や室内のリノベーションをお手伝いしたりした。主には、毎日温泉に入り続けた1週間だった。

 

旅を通じて新たな自分を見つける

f:id:pakisann:20160730133629j:plain

 

自らの深い部分にアクセスする瞬間が訪れることがある。それは、個人的には、お風呂に入っていたり、海に潜っていたり、川べりに腰かけ木々の奏でる風の音に耳を傾けていたりと、水や自然が近くにある瞬間であることが圧倒的に多い。

 

旅の中でいくつかの気づきがあった。「弱い自分の発見」がその中のひとつとしてある。東京に上京してきてから今に至るまで、自分のやりたいことを言語化できず葛藤し悩むことはあったものの、その中でもなぜか「自分は必ず大丈夫である」という根拠のない自信があった。「何が」「どう」大丈夫なのかは全くわからないが、どんなにほかの人から問い詰められようと、とにかく「大丈夫だ」と胸を張って居直ることができていた。

 

だが、今回の旅の中で、根拠のない自信がどこか深い場所に隠れてしまい、その代わりに根拠のない不安と恐怖が胸の中に広がったときがあった。具体的にいうと、ちょうど本州から来た部活の同期たちと別れて、沖縄にひとり残された瞬間である。自身の将来についての焦燥感や、周囲との比較、付き合っているパートナーとの喧嘩、誰も自分と繋がる人はいないという孤独感。無力感、不甲斐なさ。そんなネガティブな感情に支配され、何をする気も起きずぐったりとしてただただ日々を消費した2日間の時間があった。 

 

大丈夫でない自分の存在を知ったとき、胸の中に小さな驚きがあった。今までは、しなやかで折れにくいと思っていた自分の中に、弱くてふがいないだけの自分の存在を見つける。

 

旅中で最もつらく、弱っていたときの日記。DAY6。ネガティヴモードに入っているときには、筋道立てて物事を整理し、言語化することができなくなってしまう。「自分のだめさに笑う」「吐きそう」「勝手に一人で傷ついている」など、旅を終えた現時点では考えにくいほど過酷で切迫した精神状態だったことがうかがえる。

 

 そして大好きな坂爪さんの言葉に救われ、少しだけ元気を取り戻す。

 

「生きる」と「学ぶ」をつなぐ

いらないものがそぎ落とされたときの自分が好きである。過去への執着やこだわり、提出しなければいけない課題や、人間関係におけるわだかまりなどを一旦に脇に置き、目の前にある「今」に没入する瞬間。過去でも未来でもない「今」を生きる瞬間。このとき、誰のものでもない自分の人生を生きているのだ、という実感を持つことができる。

 

旅を終えて二日が経つが、働くとはどういうことか、いまだその解は出ていない。しかしこの旅を通じてようやく、生涯をかけてやりたいことを明確に捉えることができた。まだ完全には言語化するには至っていないが、はっきりとした輪郭を伴ってそのイメージを持つには至っている。

 

「生きる」と「学ぶ」をつなぐ学校を作りたい。16日間の旅を経て、自分の胸の中に残るひとつのフレーズである。

「生きる」と「学ぶ」をつなぐ】

場作りをしながらコミュニティをデザインするという生き方に、魅力という言葉では表現しえないほど強く惹かれる何かを感じる。

 

デンマークにフォルケフォイスコーレという学校がある。当時の詰め込み暗記型の教育を批判し、「生きた言葉」を使い、語り合い響きあうような対話を重ねて、自分たちをとりまく世界を学ぼう、という創始者の発案により作られた。ここでは、18歳以上の多種多様な職種、国籍の人々が集まり、対話や身体表現、読書や料理を通じて、寄宿舎で生活を共にしながら学んでいる。

 

旅から帰宅してから、この学校の存在を知った。今まで自分の考えていたことをまるっと体現している学校が存在していることに対して言い知れぬほどの驚きを感じた。こんな場を私も作りたいと強く思った。

 

まずは、ひとつずつ試験的に丁寧な場づくりすることで着実に一歩を踏み出していきたい。

 

https://www.instagram.com/p/BIBx3C6DHRP/

「共に在ること」#sea #summer #sky #being

 

場づくりを共に行う仲間を募集中。