未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

とりとめのない話

自分のもといた場所や環境から離れ、大きく移動をする瞬間が節目であるとするならば、私は今ひとつの節目を迎えようとしているといえよう。16日間の旅を終えた後、地元で1週間ほど休養をとり(常に休養であるといわれればそうなのであるが)、そのあと仕事を含む様々な用事をこなすために1週間だけ東京へ戻ってきた。そして今日、大事な用事のために再び東京を旅立ち、福岡へと向かっている。

 

現在、広島駅へと向かう電車の中でこれを書いている。乗り換えが17回、到着までになんと27時間36分かかるという壮大な電車旅である。今、世間はお盆の時期で、金のない学生にとって飛行機や新幹線のチケットは手の出ない代物である。

 

そこで、そんな貧乏学生の旅行を支えてくれるのが青春18きっぷだ。青春18きっぷを使うと、東京-福岡間をわずか4500円弱で移動することができる。その恩恵を今存分に受け取っている。

 

電車の中では、絵を描いたり、音楽を聴いたり、ぐっときた曲の歌詞をノートに書き写したり、寝たり、というループを繰り返していたものの、早朝の新大久保駅の始発電車に飛び乗ってから15時間が経ち、そろそろこのループだけでは退屈しのぎが間に合わなくなってきたので、ブログでも書こうかと思う。いつも通り特に伝えたいことはなにもない。ただの自分のためだけのライフログである。

 

【役割の話】

旅から帰ってきてから2週間弱という時間を経て、記憶能力に欠陥を抱える自分は旅で起こった出来事をそろそろすっかりと忘れ、よっぽど意識をしない限りは思い出すこともなくなってしまった。

 

「すべての物事には意味がある」という言葉がもし本当なのだとすれば、あの16日間には何らかの重要な意味があったはずである。旅の記憶が薄れていく中で、その意味が一体何だったのかという答えも見つからず、一人置いてけぼりをくらった子どものような気分で日々を過ごす。

 

大事なのは、「自ら選んで」一部になっているということ。

選択して、自分の状態に対して、自覚的になっていくこと。 

 

人との中でなにかの役割をもって機能したいという思いがいま、とても強い。

 

あの子たちといた時間をつい、思い出してしまう。

幸せな時間。

 

【「自分らしくある」ことの輝かしさと難しさ】

自分らしく生きることで誰かを傷つけてしまうことがあると知ったとき、私はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

 

 

「強さとは」という問いに対して、

「失うことを恐れず走ろうと決めたとき近くに誰かがいること」だとあるアーティストは歌った。

 

勇気をもって踏み出した一歩を見ている誰かがいること。

その事実に支えられて生きている。

 

空は青い。

どこに繋がって生きていこうかな。

 

これから長崎県壱岐に向かう、始まるラーニングジャーニー。

何が起こるかわくわくする。

未来のことが楽しみであるという感覚は、ずっともって生きていきたい。