学校の保健室みたいなところ
思っていたよりもメンタルが弱かった。
「そんなにしんどいなら戻ってきたらいいやんか」
おいおいと泣く私の背中をさすりながら、パートナーはそう言った。
自分が書いたwebのコラム記事のview数は日々伸びている。ということは、誰かがサイトに訪れ私の記事を読んでくれているのだろう、そのことはわかる。
だが、それが生の人間に届いているという実感がない。どんな人が読み、読んだ結果、何を感じるのか、それが見えてこないのだ。
朝から夕方まで黙って仕事をして、業務が終われば自宅に帰る。住んでいるのはシェアハウスだが、住人同士 お互いに顔を合わせることはほとんどない。一日の中で、交わすのは「この部分はこれこれを意図して書いています」などと会社の編集さんから受ける指摘に対して返す言葉。ほぼそれだけ。
休みの日には、部屋の掃除、読書、料理。心が晴れやかなときには、ワークショップに出かけたりもする。友人がいないので、一人で行って一人で帰ってくる。
東京での生活、会社でのライティング、すべては自らが望んでやり始めたことだというのに、いつの間にか自分を苦しめるものになっている。誰にも話すことのできない、行き場のなくなった感情は自分の内側に積もっていく。
仕事でも話すことがない、休日にも人と話さない。
こんな日々を送っているとどうなるかというと、人が怖くなる。少し人と話すだけでも、ギアをマックスまで引き上げなければならず、ひどく疲弊する。うまく人とコミュニケーションを取れなくなる。例えるならば、長年油をささず錆びれて動けなくなってしまった機械みたいに。
そんなときに、地元に住むパートナーと喧嘩をしてしまい、対話をするために地元に戻ることになった。長くなるので喧嘩の内容については、またのちほど。
無事に和解をして、話をしているうちに、自分でもわからなくなるほどに涙が出てきた。仕事でうまく成果を出せないこと、友人がいないこと、頼れる先がないこと、一人で過ごしていること、など東京での日々のあれこれについて、堰を切ったように話をした。言葉が口から出てはじめて、ああ、自分はつらかったんだな、と気付く。
そんなに苦しいなら戻っておいで、と声をかけてくれたのはこのときのこと。
自分が自分らしく生きるためには、人と感情を交わし合うような対話の時間が必要なんだと、ここ1ヶ月人を避けて暮らした孤高の生活をとおして知る。
やりたいことはその時々に変わる。でも、ころころと変わるその「やりたいこと」の裏側には一貫性がある。「誰もこぼれ落ちない、境界線のないゆるやかなつながりのある社会をつくる」という2月に掲げたビジョンは今も変わってない。
社会的に孤立していなくても心理的に孤立している人はいる。ついぞさっきまでの自分のように。一度負った傷をかばうようにして、どんどん殻を厚くしてその内側にこもっていった自分。
そんな心理的に孤立している人をとりこぼしてしまわないような、あたたかい場所。存在があるだけで肯定されるような場所。つくれないかなあ。学校の保健室みたいな、無条件に受け入れてくれるところ。
全部必要なプロセスだってわかる。