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未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

自分事としての性

たまに発作みたいに人肌が恋しくなることがある。

 

クリスマスが近づいてきているからなのか、週に2度のペースで隣の部屋から聞こえる夜の情事の音のせいなのか、原因はよくわからないけれど今晩はそれがきたわけ。

 

かといって別に何をするというわけでもないんだけれど、吐き出さないとそれはそれで内側にエネルギーが溜まったままになって気持ち悪いので、こんな夜中にブログを書いている。

人によっては風俗いったりすんのかね、こういう気分のときみんなどうしてんだろ。

 

最近、自分の性について考えることが増えた。それは、社会のこととしていわば客観的に捉える性ではなく(LGBTだとか)、自分事としての性。(個人的なことは政治的なことだよみたいな議論は今回は度外視)

 

付随してセクシュアリティの揺らぎを経験する機会も増えたように思う。中性的な何かでありたいのか、女性的なものでいたいのか、居心地のよいセクシュアルアイデンティ(性の置き場)を探している感じ。あと自分が性的魅力を感じる対象は、どんな人なのかについてもよく観察してるかも。

 

女性器をもって乳が膨れているという事実からすれば、生物学的には女性そのものなんだけれど、ひと昔前までは「何者でもない特定できない何か」でありたいという一貫した強い思いがあった。それを考えると何なのか、最近の揺れる心は。

 

普段の生活ではほとんどないんだけれど、ごくたまーに「今日は女子の自分でいこう」と性別を明確に「決め」られる日があって、そういう日は見た目に気を遣い始める。自分の求める水準まで装いが決まった瞬間には(他人から見てどうなのかはともかく)、ダイヤルキーがカチッとあったみたいですごく気持ちいい。揺らいでいる自分をメタ認知的に楽しむ一方で、カチッとはまったらはまったで別の楽しさがある。

 

女子でいこうと「決まった」日には装いの他に、立ち振る舞いも変わる。視線のやり方なんて特に(これは最近気づいた)。なんだったら声色だって変わっているかもしれん。あとは相手との物理的距離感とか、体の動かし方、口数口調など。コミュニケーションにおけるありとあらゆる部分が変わるかも。で、そういう日には高頻度で冒頭に書いたような衝動に駆られることが多い。

 

誰彼構わず人肌に触れたい、みたいなやましさ(やらしさ)から書き始めた記事だったのに気がつけば、性自認とそれに伴う表現についてみたいな割と真面目な内省になってる。おかげさまで風俗にいくこともなく性的欲求はもろとも消えたので、この行為を文字オナニーとでも名づけようかね。