未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

超ドMの話

電話をしながら「付き合う」というのはどういうことなのだろうと考えている。
そもそも人と付き合うというのは一瞬の行為ではなくて、継続的に関係をもっているという状態であるといえるので「付き合っているとは?」という問い立てが正しいかもしれない。
 
兎に角、最近は「交際関係」のありかたについて折に触れてぐるぐると思いを巡らす。飲み会の席では必ずといってよいほど交際相手がいるか、どんな関係なのかを聞かれるし、友人との会話の中でもパートナーとの関係について話題となることが多いので、自ずと考えざるをえない状況に見まわれるのかも。

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自分には付き合って3年目になるパートナーがいる。最近は私が地元を離れたせいで遠距離の関係となり、頻度は少なくなったものの連絡は細々と行っている。
 
今回はそのコミュニケーションの中で相手から受け取ってしまうものについてのお話。
 
ここ数ヶ月やりとりの中で自分の心がふにゃふにゃになって崩れそうになることが頻繁にある。どんなことかというとこんな感じ。
 
ひとつひとつの言葉に棘や角張りを感じ、「怒っているに違いない」と相手の気持ちを勝手に想像しては一人で傷つくとか。
 
普段の生活の中では言葉で表現しきらない苦しみを知っているのに、相手には言葉の着地点を求め「どうしようかなあ」「せやなあ」ばかりですぐに途切れてしまう会話で感じる煮え切らなさや歯がゆさにパチンとはじけそうになるとか。
諦めに近いため息交じりの低い声からはごわっとした負のエネルギーをもらってしまう。
 
沈黙の間が心地よいなんてことはなくて、スマートフォンのスピーカーから聞こえる向こう側の空調機の物音で心をざわつかせる。ちくちく痛い。
 
距離が近いと、相手からはその分だけ大きなエネルギーを受け取るのだと思う。
 
「崩れそうになりながら、負のエネルギーをもらいながらも相手をケアし支えること」と、「自分を守るために距離を置きいったん離れること」。
相手が心理的にしんどい時期であって、話をすれば負のエネルギーを受け取らずにはいられない今、私はこのふたつの選択肢の間をいったりきたりしながら揺れている。
 
いや見栄を張ってしまった。今私はおそらく「いったん距離を置く」という後者を意識的に選んでいる。苦しいと感じたらすぐに相手と真っ向から向き合うことから逃げる。これはかれこれ昔から続くもので癖になっている。すたこら。
 
お付き合いの関係なら相手の気持ちに寄り添って支えるのが当たり前だろう!という意見があるだろうし、互いに想いあっているはずの恋人同士ならある意味この意見はまっとうなものなのかもしれない。
 
でも、という言葉が続く。
相手のエネルギーを受け止めるだけの度量がないといわれればそれまでだが、苦しいものは苦しいのだ。 大きすぎるエネルギーをもらってへばってしまわないように、「距離を置いていったんその場から引く」ことで自分の身を守っているふしがあるし、ひらりひらりと相手を変えては飛び回っているのはそのその苦しさから逃げる癖のせいかもしれない。
 
親密な関係をもつ人と本気で向き合おうとすると圧倒的に苦しいことのほうが多いから。 
家族・恋人同士で四六時中ひとつ屋根の下で一緒に生活する人たちを本当に尊敬する。自分にはとうていできそうもない。
 
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一対一の付き合いでは大きく感情が揺すられることはあんまりないのだけれど、パートナーからは大きな揺さぶりをもらう。
その揺さぶりを通して自分のことを知るという意味では、一緒にいることにはどうやら「まだ」価値がありそうだとかなんとも冷ややかなことを考えてしまう。
 
こんなことがあって大変苦しいながらも最近感じるのは、私たちはこれからも「こんなにも苦しいのになんで一緒にいるんだろうね」なんて言いあいながらもしばらくは関係を続けていくんだろう、などという根拠のない予感だ。
ついこの間友人にこの話をしたら超ドMだねなんて言葉を返されたけれどおそらく間違っていない、超ドMなのだろう。
 
電話をすればけんか、泣いて怒ってばかりの関係なんていいか悪いかでいえば圧倒的に「悪い」関係の部類に入るのだけれど、他の人の前では決して出てくることのない、むき出しの醜い私の姿を引きずり出せるのは今のところうちのパートナーしかいない。
 
約束をしたからといってずっと一緒にいられるなんていう保障はどこにもないので、どこかで途切れることを前提に人との付き合いをする。これは自分だけでなくパートナーとの間でお互い一致する見解。
これからの未来のことを嘆いてああだこうだいうつもりはないけれど、とりあえず今ここに私たちの間に関係があること、そしてそれを苦しいと感じていることをまるごと受け入れようと思う。
 

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