読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

「ラオスにいったい何があるというんですか」

飛行機の乗り継ぎ経由地のクアラルンプール空港からこの記事を書いています。

 

出来事を文章で記すことに関しては、一晩置いてみたらおいしくなるカレーのようなものだと考えることもできるけれど、今ここにある自分の気持ちは生もので割と鮮度が大切な気がするので、消えてしまわないうちに。

 

今あるものを文字に起こしてみることが最優先なので、文脈も構成も考えないままに思いつくがままに(いつも通りか)、だらだらと綴っていこうかなと思ってます。


ラオスに行くことが決まったのは去年の年末だった。

部活の友人たちとタイにいく約束をしていたのだけれど、時間があるのでせっかくなら彼女たちが帰ったあとに一人で別の国にも足を伸ばしてみよう、そんな気軽さで選んだラオス。二つ目に行く国をラオスに決めたのには特別おもしろい理由はなくて「タイに隣接するビザの発行がいらない国」というなんとも適当な選択基準だった。まあ、どこでもよかったのである。ただ、一人で海外で過ごしてみるという体験をしたかっただけだった。

 

そして、はじめての一人旅の舞台として選ばれたラオス

 

村上春樹が色々な土地を巡った紀行集をまとめた本を出しているのだけれど、そのタイトルを「ラオスにいったい何があるというんですか?」という。数々の旅行先を綴っているのだから、もっとほかによいタイトルもありそうなものなのに「ラオスのなにもなさ」をわざわざ本のタイトルとするくらいだから、本当にラオスには特段なにもないのだろうという予測はついた。なので、作業をするためにもノートPCを持参することにした。加えてSkypeのインタビューの仕事の予定も入れたくらいだ。

 

けれど、一方で私は村上春樹の書き手としての感度の高さを尊敬していて、彼がわざわざ著書のタイトルとして選ぶのには、きっとラオスには「なにか」があるのだろうという期待もあり、私はラオスに行くのがとても楽しみだった。実をいえば、友人と行く予定だったタイよりも楽しみにしていた(ごめんなさい)。

 

たしかにラオスは特別な「なにか」がある国ではなかった。タイのように刺激的なニューハーフショーがあったり、道路の脇に立ち並ぶようにして夜分遅くまで屋台が乱立したりするわけでもない。華やかというよりは地味だし、観光する場所というよりは暮らす場所に近かった。そりゃあ日本という別の文化をもつ国から来た私にとって、驚くことはいくつもあったけれど、目を見開くような派手さや観光すべき特別なものは何もなかった。

 

そんな地味で暮らすための場所、ラオスに私は6日間滞在した。

いきなり先に旅の終わりのことを書かせてほしいのだけれど、ラオスから離れるときに私が味わったのは、ひどく痛くなる自分の胸だったし、もしかすると目じりには涙の一粒も浮かんでいたかもしれない。日本を出国するときにも思いもよらない展開だったので、痛くなる胸に自分でも驚きを隠しえなかったほど。ラオスを離れることがとても寂しかった。これを書いている今、ラオスを離れてから約10時間がたつけれど、まだ寂しいし恋しく思っている。

 

村上さんの「いったい何があるのですか」という書籍の問いに対して答えるとするならば、ラオスには「生活感」であったり「素朴さ」があったように思う。その素朴さがたまらなく好きだと感じた。

 

f:id:pakisann:20170312223913j:plain

あまりに素朴すぎたせいでカメラを構えようとも思わなかったのか、町並みを映した写真がほとんど見当たらなかった。唯一見つかったのがこの写真。町にはにわとりや犬がうろうろとしている。(写真の真ん中下のほうにいるよ)

 

この数日間で、おもしろいエピソードが特に起こったわけでもない。ラオスの土地にあったのは普段の日本での生活でだって割とよく見るような光景だった。

 

たとえば、炎天下を長距離歩いて、暑い暑いとひいひいいいながら食堂に入ると、お店のおかんが「いやあ今日は暑いわよねえ」と笑って迎えてくれたかと思えば、その数秒後にはキッチンでスマホを触ってYoutubeを見ていたり、京都の鴨川沿いの等間隔の法則みたく、夕方にはメコン川沿いで家族や恋人たちが等間隔に腰かけ夕日を眺めたり、夕暮れには同じく川沿いでエクササイズをしている集団がいたり(私もこっそり混ぜてもらった)と、道端では子どもたちが鬼ごっこをしていたりと、そこにはラオスの人たちの生活や暮らしというものがあった。

 

f:id:pakisann:20170312224030j:plain

鬼ごっこする子どもたち。子どもたちが遊ぶ姿をよく見かける。


f:id:pakisann:20170312230009j:image

あまりにすることがなさすぎて、髪の毛を切ってもらいに町の角にある床屋にいった。いい感じに短くしてもらった。

 

私が今回見せてもらったのは彼ら彼女らの生活のごくごく一部でしかないのだけれど、その断片に少しだけお邪魔させてもらってラオスを感じてみて今あるのは、ひんしゅくを買うことを恐れずにいうと、私もここに住んでみたいなという思いだった。6日間なんていうお試し限定期間ではなく、もっともっとここの空気を味わいたいし、その土地の言葉で人々とやりとりをしてみたいと強く感じた。

 

少し話を脱線させると、ラオスに住んでみたいという思いをもった原因にはひとつ心当たりがあって、旅の最後ひどくよくしてもらったエイさんという人(うろ覚え)のせいかもしれない。(名前がうろ覚えなことについて:私の先輩のこの記事がとても素敵)

飛行機の出発する空港付近で迷子になっている私を見つけ、道案内のうえ、バイクで川遊びにまで連れて行ってくれ、その上お酒までごちそうしてくれた兄ちゃんである。

f:id:pakisann:20170312224023j:plain

 川に続く道を案内してくれるエイさん。10キロほどあるリュックをもってくれる心優しき兄ちゃんである。

 

お互いに英語ができないので向こうの言っていることの半分も理解できないし、私のいうことを彼が理解していたのかどうかは定かではないが、彼には、ラオスという国のこと、そこでのくらしのことを言葉によってではない形で教えてもらった。バイクで連れまわしたり、川で一緒に泳いだり、地元の居酒屋でともに時間を過ごしたりしながら。

(特におもしろいエピソードはないといっておきながらなんだけれど、これは記事2つ分になるくらいのちょっとした事件だったので、またこれ別の機会に。)

 

 結局なにが言いたかったのかっていうと、ざっくりとした表現になるけれど、私はこの国のもつ素朴さがとても好きだということ。次に海外にいくときにどこに行きたいかといえば、ラオスに行きたいと即答する。

 

いつも記事の終わらせ方がよくわかなくて困るのだけれど、エイさんと朝までビールを飲んでいたせいで今日はほとんど寝ておらず、今机に頭がつきそうなほど眠たいので、今回はこんなところで終わりにしたいと思う。

 

これは11日間の旅の中で全体をふわっとまとめただけの話。旅に事件はつきもので、まだまだエピソードはたくさんあるので、折にふれて更新できたらなと思っている。

f:id:pakisann:20170312224052j:plain

ナムコン川の向こう側の山に太陽が隠れていく夕暮れの一枚。手前にいる犬と少年の後ろ姿が郷愁を誘う。写真が傾いてぶれているのは、カメラをもつ逆側の手にビールを握っていたから(一人で飲んでた)。