未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

ほぐす、ゆるめる

身体について試行錯誤する時間が続いている。大学院では心理学をやってる、だけど圧倒的身体。ここ最近ずっと考えっぱなしなんだ。

 

今日は研究の関係で奈良のとある演劇のワークショップにお邪魔させてもらった。これが、本当にすごかった。何がと言われると「これだ!」となかなか明確に伝えることができないのだけれど、端的にいえば「身体に気づくこと」を教えてもらった時間だった。

 

 ワークショップの講師はオガワさんといって、大学在学中に池劇団を立ち上げ
イギリスの大学へ、そしてジャスコ(現イオン)で青果担当で毎日ドリアンを売り、そのあと柔道整復師免許をとるために専門学校へ、という興味深い経歴をもつ。

 

 「立ってください」という指示に従い、私は直立の姿勢をとった。するとオガワさんは「まずO脚だね、膝が外に向いている、足の小指が使えていない、お尻が後ろに出てる、肩の筋肉が堅いので呼吸が浅い(胸の奥に息が入っていない)、肩こりと冷えと腰痛があるね」という。私の立つ姿勢にはいくつもの問題点があるみたいだ。それを一瞬で言い当てた彼は本当にすごい。

 

やや大げさではあるものの、彼が私の立ち姿をやってみせてくれた。それは私が認識する自分の姿というよりは、どちらかというとゴリラに近かった。腕が上半身の前にぶらさがっていて、背中が丸くて、膝と足先が外側に向いている。つい「ゴリラみたい…」と呟いてしまったほどに。

 

そして訓練の末、正しい立ち方を覚えた。24年ものの身体に染みついた癖は一朝一夕で抜けないので、気を抜いた瞬間にはもとのゴリラの立ち方になるのだけれど、意識をすれば「ちゃんと」立つことができるようになった。

 

思うに、人が動きや姿勢を身に着けるときには三段階ある。まず、教えてもらった通りに真似をする段階。ここではまずその動きや姿勢が身体感覚として腑に落ちることが必要。第二段階は、教え手がいなくなっても、反復しながら動きを再現する。ここでは頭が覚えている。「肩甲骨を引き寄せる」「お尻を引く」などというように言葉で反芻を重ねることが重要。第三段階は、習得の段階。言葉で反芻しなくても、その動きが自然とできるようになる。ちなみにこれを心理学では身体知の獲得といったりする。

 

身体知が獲得されて自然にできるようになると、できていなかった頃のことを思い出せなくなる。ないですか「こんなことがなんで昔できなかったんだろう・・・」って思うこと。アレですアレ。

 

ちょっと長くなったのでまとめに入ると。

 

ずっと一緒にいるので自分の身体のことは知り尽くしていると思っていたのだけれど、そんなことは全然なくて、2時間弱のワークショップの間、驚きと発見の連続だった。こんな身体がある。いつもは意識の届いていない場所にサーチライトが当てられたみたいな経験だった。

 

心は身体に出るみたい。今日観察していただけでもいくつも発見があった。研究室でさほど仲のよくない人と話しているときの身体はやや後ろにのけぞっているし、仲のよい友達と話しているときには前のめりに、距離も近くなる。えらい人と話しているときには肩が上がって身体が縮こまっている。

 

でもこれって意識してやっているわけじゃない。おもしろいのがこれで、身体は勝手に動いてる。そして、ふと気づけばそんなふうに動いている身体がある。身体が先で、あとから気づく。身体は頭よりもよっぽど心のことを知ってるんだろうなあ。

 

重心が左に偏っているといわれたのを思い出したので、今朝玄関で靴をひっくり返して底を見てみた。すると確かに、右足の靴底がやたらとすり切れている。