未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

とめどないあれこれ

外側にあることが書けないだとか、対象物を描写することができないだとかそんなことどうだっていいんじゃないか、と言ってみたい。先に言っておくけれども、これからの文章にはテーマも一貫性もない。情緒も感動もない、どちらかといえばその逆だ。 

 

こないだ友人と話していたときに「美味しい食べ物の紹介とかは書けるんだけれど、自分のことになるとさっぱりなんだよねえー」と言われてハッとした。自分はその逆で、対象物を客観的に描写する、特に書くことに関してはできないのである。何かを思考するときのベクトルがいつも内側に向いているみたいで、ストレングスファインダーでも内省傾向が必ず結果の中に入っている。

 

自分を対象化して捉えることが昔から苦手である。自分のことにのめりこんじゃうときそこには切迫感しか生まれない。その逆にユーモアという言葉があるけれども、ユーモアのある人はある種自分のことを対象化して捉えることができるんじゃないかという仮説がある。暮らしに、仕事に、生活にユーモアと、そして軽やかさをもちたいものである。そして肥大する自己愛を捨てよ。

 

さて、最近は書こう書こうと思って書けないことばっかりで、なんでなんだろうと思う。会社で働く中で感じること、子どもや親御さんと接していて感じるアレコレ、日々の暮らしのこと、演劇のこと…など書きたいことはたくさんあるにも関わらず書けない。時間がないとか、まとまらないとか理由はたくさんあるのだけれども要するにかっこつけたいからなんじゃなかろうかとも思う。そうね。テーマとか一貫性のある文章を書くのは結構疲れるし、完璧を求めちゃうからね。途中まで書いて消して、途中まで書いて消して…を繰り返す。

 

そうそう、社会人になってから3か月が経った。できることに目をむけるのって今すごく難しくて、できないことにしか目が向かないんだ。レンコンの穴ばっかり見つめてその身の存在に気が付くことができない人だ。歪んだ自己認知は自己肯定感と仕事のパフォーマンスを下げる、いい加減にしてほしい。

 

そして昨日は、25歳にもなったのに昨日職場で泣いてしまって本当に恥ずかしい、思い出しただけで吐きそうである。そんな心の調子だから、朝から適当にオーブンでパンを焼き、母親と電話しながら冷凍庫に入っていた数日前に作ったバナナヨーグルトのアイスを食べ、それはもうここ最近ではもっとも堕落的ともいえる休日を過ごしている。母のいうことはあっけらかんとしていて気持ちいい、母は偉大。

 

そうして母とアイスと奈良にいるパートナーの声に助けられ、ちょっとずつ自分で自分につけた傷は治りつつある。効力感は失ったままだけどまあいいや。時間は過ぎていって、どうしたってやらざるをえないときが必ず来るんだから、落ち込みたいならその時間までとことん落ち込めばいい。手を動かすのだけは忘れずに。あと1時間したらヨガに行こう。

 

うんこみたいに手抜きの文章を書いてしまった。ブログの文章は心のうんこであってもいいか、書いてすっきりするのであればそう然るべきでさえある。ということに一旦はしておこう。