未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

人との関係をはぐくむこと

人とのかかわりの中で、結局のところ最後に残されるのは対話なんだと、今日あらためて実感した。

 

悲しみや怒りの感情から、反応的に即座に行動するのではなく、自分の中に湧きあがった感情の奥にどんな願いやニーズがあるのかを観察する。いったん立ち止まって俯瞰することが、たぶん人との関係において超だいじだ。

 

過剰に自己否定に陥ることも、相手に責任をなすりつけることも簡単にできちゃうんだけれど、その安易さをとると「本当の問題」が見えにくくなる。

 

恋人や家族とかいう、距離の近い親密な他者に対しては、自分の心理的なコミットメントの度合いが非常に高いし、自分とは全く別の他者として切り離しができない分、ブワッっと火が燃え上がるが如く、感情的に立ちやすい。

 

だからこそ、徹底的なくらい対話が必要になってくるんだろうなあ。できるだけ相手も、自分も(ここ大事)傷つけないような非暴力的なコミュニケーションが望まれるわけ。聴くことでしか関係は開かれていかないよなあという実感が今ここにある。たぶんこれからも変わらない。

 

困難なことも、苦しいことも、その渦中にいるときはその状態から早く抜けたくて堪らないし、ゲロでも吐きたい気分になるけれど、長いスパンで見ると全部成長のために必要なプロセスだよな、とここ最近何度も思う。

 

でも不快なものは見ないふりして蓋したいし、向き合わずに通り過ぎたい。

適当に効率的に、さっさと取り除きたいという気持ちもよくわかる。

ある人のいう「半径5メートルの現実は、自分が創りだしている」という言葉が間違っていなければ、現実は自分の意図と意識次第で創り変えていける。

 この3つを通して、私は大切な人との関係をはぐくみたい。

1、相手の話を遮らずに、最後まで聴いて、一旦受け止めること

2、相手の意見を頭からぶった切らず、かつ、自分の意見も主張すること

3、そして妥協や我慢という形ではなく、「互いが」「本当に意図する」関係、あるいは状況を模索し創りだしていくこと


ジェンダーアイデンティティだけでなく、すべてのモノ・コトにおいて流動的でありたい、という意図から生きる。