未定(仮)

大学院を休学して日々悶々と内省中

誰見てしゃべってんのアンタ

「あなたのためなのよ」と言いながら、自分の欲求を満たすための関わりというのが一番やっかいだ。悪意がないだけになおさら。

たまに、毒をもらったような気分になることがある。

初対面同士が集まるイベントにいくとよく出くわすマウンティング。

たしかにそこは、初対面で、情報だって少なくて相手の素性も考え方も分からない上でのコミュニケーション。だから話を始めるときには、おのずと手持ちの多くはない情報を切り口にすることとなる。

確かに私は「就活うまくいってなくて…誰か拾ってください。笑」という種の自己紹介をした。だから私に貼られたのは【就活失敗女子】というラベルのみで、その知りえたラベルからやりとりは始まっていくことになるのだけれども、そこからの話の転がし方なんていくらでもあるんじゃなかろうか。

あるときの話を取り上げると、同じく就活が進まないという話をしたときに、自営業やフリーランスという働き方があるのだということを教えてくれた人がいた。視野が狭くなっているときにオルタナティブな選択肢を見せてくれる人の存在は貴重だ。

ただ、そのとき、私の姿ではなく「就活に失敗した人の平均像」を見て接してくる相手には注意が必要だと思う。「就活失敗」の平均像のペルソナを私に被せて喋っている相手からはそっと身を引くのが、無駄で傷を負わないために必要なこと。その傷は何も生まない。(あえて生むものがあるとすれば、こんな愚痴っぽい文章である)

評価と押しつけとマウンティングがないまぜになったような、ざっくりといえばそう感じる言葉の集合で、なんだか、もやっとするなあという気持ちになった。「面接で●●っていったら会社を使うっていうスタンスでいったら、すごいなこいつ他とは違うって人事から思われるよ」とにこやかに言われた瞬間には、うーーん、なんだか喉元まで苦いものが込み上げてくるような感じがした。別に私は評価されるために面接を受けているわけじゃないのになあと。こんな考え方は子どもすぎるのだろうか。

(そこで相手の言うことに素直に耳を傾け、違和感をぶつけることができなかった自分の関わりについても反省できそうなことはあるけれど。)

伝えることと紙一重に存在する「押し付ける」という危うさ。

伝えるということは、ひとつ間違えると、相手の状況を踏まえない、一方通行なものになってしまうんだなと。それはコミュニケーションでもなんでもなくて、欲求を満たすためのただのマスターベーションにすぎない。

自戒の意味も込めて、「伝えたい」熱量が出てきたとき、その奥にある真の動機って何なのか、そこんところ自覚しておきたいなと思うわけだ。

その動機を自覚しているかしていないかで、コミュニケーションのあり方はたぶん変わる。少なくとも相手を決めつけたり抑え込もうとするエネルギーなんて、出てこなくなるんじゃなかろうか。

これからは。

相手にマウンティングされるとき、そこからするっと抜け出す術を探していきたいなと。できれば角の立たない方法で。