「読者を育てる」という視点について
読者を育てるという視点が身についた(かもしれない)。子どもの育ちに関するウェブメディアで記事を書いている。
「子どもが育つときにだいたいでるしぐさ」,たとえば「あうあう」という喃語といわれる発語,何かを指さす「指さし」の行為。情報を提供するライターとして,これらのキーワードについて書くときにに悩むのは【まだそのしぐさのでていない子どもをもつ親】に対してどのようなメッセージを投げかけるべきだろうということ。
最近意識にのぼってきたのが「読者を育てる」書き手でありたいという思い。読んでもらっている発信者側の立場として、「読者を育てる」 なんて大変おこがましいかもしれないがそれ以外の表現が思いつかない。
発達がゆっくりなために、一般的に「できる」と言われる月齢に、あるしぐさが出てこないということはきっとこれからも起こる。
少なくともこの手のキーワードに関していえることは、記事のゴールはよくあるSEO記事のように「安心してもらうこと」でも、DSM-Vや医学書のように「むやみやたらに詳細な枝葉となる細部の情報を伝えること」でもない。
記事として向かうべきゴールは、次におなじような不安が彼ら・彼女らに襲ってきたときに、いかに不安を解消し、どのようなアクションをとるべきなのか、自らの頭で考えられるような「思考力」を身につけられるような構成であることではなかろうか。
ライティングの仕事が決して楽というわけではなくむしろもがき苦しむことのほうが多いのだけれど,そういう泥の中にこそ得られるものがあるよな、仕事を通して感じることはこんな感じ。